皆さま、こんにちは!

 

平成21年9月21日、シルバーウィークのすっきりとした秋晴れの日に、クリニックのホームページを立ち上げました。

 

 4月にクリニックをオープンしてから5ヶ月、その前の準備期間を合わせると約1年、何かに追われるかのように慌ただしい毎日を過ごしてまいりました。でも、現在のクリニックがあるのは、支えてくれたスタッフや様々な方々のサポート、そして何よりも患者様からのたくさんの励ましがあったからこそと考えています。本当に感謝しております。

 

 今回ホームページを開設しようと思ったのは、「自分たちがどのようなことを考えて治療に臨み、患者様に向き合っているか。そして将来にどんな夢を持ってるか」......そういった様々なことを、患者様や関係者の方々にも何らかの形で伝えていくことが大切ではないかと考えたからです。

 今までは、‘院長便り’という紙面の形で患者様にお配りしてきましたが、エコが求められる昨今の事情もあり(笑)、これからはインターネットという媒体を通じてお伝えしていければと考えています。

 

 ただ、私はホームページ作成等、IT関係にはズブの素人です。勉強しながら少しずつ質の高いサイトにしていきたいと思いますので、不備な点はご容赦ください(実は、ホームページ作成のため、ここ数日、寝不足が続いておりました......汗)。

 

 また、この「院長のひとりごと」コーナーは、他のページと違い、私が感じたことをそのままに、できるだけ自然体で綴らせていただこうと思います。

 

 いわば、“ノーネクタイの院長ブログ”と捉えていただければ幸いです。

 

 今後とも、よろしくお願いいたします。

 

     爽やかな秋晴れの信州より                     2009/9/21

 

 

 

いやはや・・・

 ITに不慣れなせいで、シルバーウイークは、ほぼ毎日半徹夜状態でクリニックのホームページを作っておりました(汗)。出来上がった時は、それはもううれしくて・・・(笑)。すごいきれい!完璧じゃん!などと自画自賛。ほとんど自己陶酔状態。その流れのまま、連休明けに期待に胸膨らませクリニックでホームページを開いたのでした。

 

  ところが・・・な、なんと・・・。語彙は飛んでるわ、行は変な形で変わっているわ、行の頭は揃ってないわ・・・、それはそれは大変なことになっているではありませんか(涙)。自分のパソコンでは美しく!?できていたのに、なぜこのようなことになったのか。とてもショックでした。

 

  パソコンの知識に乏しい僕にはわかりませんが、もしかしたら僕が使っているパソコンのOSやブラウザの問題があるのかもしれません。 僕のパソコンはMACでOSはMACOSX SnowLeopard、クリニックのOSはWindowsで異なるのです。互換性の問題があるのかな?

 

  いずれにしても、自分で大丈夫と思っていても、サイトを見ていただく皆さんが見づらかったり不快な思いをされては、それはただの僕の自己満足。それではいけません。

 詳しい方に教えていただき、解決していきたいと思います。

 多少文字の乱れはあるかもしれませんが、しばらくはご容赦くださいね。

 

  黄金色に輝く稲穂を観ながら                     2009/9/27

 

 

 

大荒れ

 今回の台風は猛烈でした。全国でも被害が出ているようですね。

昨晩は強烈な風と雨で、一晩中浅眠でした。朝起きても風雨はおさまらず、庭にあった20mほどの山桜(直径約1m)がボキッと折れて倒れてしまいました(涙)。ソメイヨシノのような華やかさはありませんが、春には可憐な花を咲かせてくれていたので、とても悲しいです。庭にあった物や建物を避けるように倒れていて、桜が最後まで配慮してくれたのかなぁと思い・・・そう考えるとますます悲しく、またいとおしくなりました。

 それに加え、今回の暴風雨で関係者や患者さんに被害がないか心配です。

 

 今住んでいる場所は、もともと山林でした。山桜はその頃から自生していたのですが、いつも一本だけデンと構えて立っていて、その堂々とした姿を頼もしいとさえ思っていたのですが、さすがに今回の強風には勝てなかったようです。

 敷地の周りにはひょろひょろした松が生い茂る松林があるのですが、そちらは被害がなかったようです。昨晩のような強風をまともに受けたらひとたまりもなかったでしょうが、お互いが支え合って助かったようです。

 

 人も同じなのかもしれませんね。

 一人で生きるのは難しい。一人々々は弱いから。だから、支え合わなければ生きていけない。

 

 昨晩、若い世代のホームレスの方が増えていて、『助けて』と言えずに孤独死をしていく現実があることをテレビで伝えていました。

 現代社会は、少子化・核家族化が進み個人主義が尊ばれ、その代償として、人が‘群れて’支え合うというチャンスが少なくなっているような気がします。隣の人に、素直に『助けて』と言えない社会なんて寂し過ぎますよね。

 

 もっと、社会全体が自然に支え合う“森”のようになれたらいいなと思います。

 生きてると、時々人生の台風に遭遇しますね。そんな時、自然に人が集まり“森”ができて、皆で暴風雨を乗り越えられるような社会になればいいなと思います。

 

 

 今日は、ボランティアの方々の前で講演をしてきました。ボランティアの皆さんの‘支えたい’という情熱が伝わってきて、とても勉強させていただいたと同時に、自分はまだまだダメだなと反省して帰ってきました。

 

 僕自身もひ弱で頼りない人間ですが、微力ながらも、クリニックを訪れて下さる方を支える“森”の一部になっていきたい・・・。

 そう思ったら、山桜が倒れたショックが少し和らぎ、また明日からがんばるぞ!という気持ちになりました。

 

  台風一過の静かな夜に                        2009/10/8

 

 

 

グレてた頃から・・・

 高校時代・・・授業についていけず、人間関係もうまく行かず、親の言う事もうるさく(今風で言うならば「うざい」)、あらゆる事に対して諦めと虚しさを感じていました。劣等感と孤独感と虚無感にさいなまれる毎日。僕は意地っ張りでしたから周りにはそんなそぶりは微塵も見せませんでしたが、本当は不安で寂しくて自信がなくてどうしようもなかったのです。そんな、内と外のギャップでしょっちゅうイライラして、母親に罵声を浴びせてグレていました。

 そんな時、ある詩に出会いました。19世紀のビクトリア朝時代に活躍したイギリスの詩人ロバート・ブラウニングの「春の朝」という作品です。

 ・・・こんな詩です(ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが)。

 

 

  時は春

  日は朝(あした)

  朝(あした)は七時

  片岡(かたをか)に露みちて

  揚雲雀(あげひばり)なのりいで

  蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ

  神、そらに知ろしめす

  すべて世は事も無し

 

 

 この詩に出会ったのは全くの偶然でした。誰もいない暗い更衣室で読んだのですが、その時、何とも言えず穏やかな気分になったことを今でもよく覚えています。

 とても静かで、時間がゆったり流れていて、そして絶対的な何かに見守られている世界・・・。

 僕は宗教的なことはわかりませんが(おそらくこの詩は単一の宗教の概念を超越しているのではないかと思うのですが)、こんな世界に自分の身を置けたらどんなにいいだろうと、その頃よく思ったものでした。

 それからは、苦しくなったりつらくなったりしたときはいつも、この詩を頭に浮かべるようにしています。

 

 詩というのは、小説や論文と違い韻やリズムがあるので、スッと五感に入ってくる感じがします。そういう意味では音楽や絵画に近いですね。

 この詩は、こころが疲れたとき、僕の目や耳や皮膚などを通してやわらかな空気を伝えてくれる・・・そんな感じがするので大好きです。

 

 もう今日から11月。早いですね。北海道からは雪の便りが届きました。

   皆様、風邪を引かれませぬように。

 

    落ち葉を濡らす秋雨の音を聴きながら                       2009/11/1 

 

 

 

何人もの話を聴いてて疲れませんか・・・?

よく、こんな質問をされます。

 僕は毎日数十人の患者さんのお話を聴かせていただいていますが、お話を聴くことで疲れたと感じた事はありません。むしろ、お話を聴かせていただくことはうれしいしありがたいと思います。それに、患者さんから教えていただいたり、逆に励まされたりすることも少なくありません。

 

 僕はもともと皮膚科医としてスタートしましたが、つい患者さんと話し込んでしまうことがよくありました。たとえば、あるアトピー性皮膚炎の患者さんがいらっしゃった時、診察はそこそこに「どうしたの?受験の準備はどう?何か悩んでるんじゃないの?そうだったら聴かせてちょうだい」ってな具合。一日百人前後の患者さんが来院する皮膚科では、そんなことをやっていては全ての患者さんを診れません。だから、外来の看護師さんに「先生、そんなんじゃぁいつまでたっても終わりませんよ!」とよく叱られてました(汗)。

 どうしても患者さんの内面に関心を持ってしまうのです。やはり、僕は精神科医の方が向いているのでしょう。

 

 ただ、患者さんをお待たせしてしまう時はいつもつらく、申し訳ないと思います。

 当院は完全予約制ですからほとんどの患者さんはきちんと時間通りに来てくださいます。でも、患者さんの状態はいつも安定されているとは限りません。時には予定通りにいかないこともあります。

 目の前にいらっしゃる患者さんのお話はじっくり聴きたい、でも、次の患者さんをお待たせしてもいけない・・・。最近は患者さんが増えてきたために、そんなジレンマを感じることが多くなりました。患者さんのお話をじっくり聴こうとすると、いつも時間という壁がその前に立ちふさがります。

 

 『限られた時間の中で、どれだけ深く患者さんと向き合えるか』

このテーマはいつも頭から離れず、始終葛藤しています。これは永遠のテーマだと思います。

 もし仕事にストレスを感じるとしたら、このような葛藤から来るものかもしれません。

 

 でも、患者さんの表情がだんだん良くなって回復に向かっているなと感じる時は最高にうれしくて、そんなストレスも吹き飛んでしまいます。それこそ、患者さんが完全寛解(すっかり治癒すること)された時なんかは、天にも昇るような気持ち(・・・ちょっと大げさですか!?)で、医者やっててよかったなぁ〜☆と感じます。

 そんな時に、僕の心の中の葛藤も自然に癒されているのだと思います。だから、またがんばろう!と思えます。

 僕も、患者さんから喜びやエネルギーをいっぱい頂いているのです。

 

   冬のような寒さに戸惑いながら                         2009/11/3

 

 

 

アロマトリートメント、始めました

 今日から、通院されている患者さんを対象にアロマトリートメントを始めました。施術は、アロマトリートメントの資格を持った当院の看護師が担当します。

 アロマトリートメントとは、数種類のアロマエッセンシャルオイルをブレンドした植物性オイルを使用して手や足等をトリートメントするものです。香りや施術者のタッチングにより、緊張感を和らげたり、気持ちを落ち着かせたりする効果があります。

 僕も施術してもらいましたが、触れられる心地よさとアロマのいい香りによって、本当に気持ちのいいものでした。

 精神科の一般的な面接は主にverbal(言語的)な手段を用いますが、アロマトリートメントはnonverbal(非言語的)な手段で心地よさをもたらしてくれます。

 両者のアプローチがうまくかみあって、患者さんの気持ちが少しでも和んでいただければと考えています。是非、体験してみてください!

 

    もう師走・・・か                                       2009/12/1

 

 

 

 

速いかもしれないけど・・・

 先日、新しい新幹線の記事が新聞に載っていました。2011年3月に東北新幹線にデビューする「E5系」というモデルです。最高速度は国内最速の320kmで、東京=新青森間を3時間5分で結ぶそうです。たしかに、速ければビジネスにもレジャーにもメリットは大きいでしょうね。

 

 でも・・・写真を見たら、正直びっくり⁉がっかり⤵でした。ウナギのような、ヘビとカモノハシを掛け合わせたような異様に長いノーズを持った顔立ち。おそらく、速さを追求するために空気抵抗を考えた結果このようなデザインになったのでしょうが、どうひいき目に見ても僕にはかっこいいとは思えませんでした。機能だけが優先されて“情緒”が感じられない印象を受けたのです。

 先程引退した「0系」という初代新幹線は、愛嬌と先進的なデザインでデビュー当初から人気がありましたし、1997年にデビューした「500系」はジェット機のようなスマートなデザインで、小さい頃イメージした‘未来の乗り物’をそのまま具現化したようで感動すら覚えたものでした。もともと、日本の鉄道のデザインは世界の中でも秀でていると思います。

 

 小さい頃から鉄道は好きで、よく祖母に連れられて駅に行き、時間を忘れて列車が出入りするのを眺めていました。と言っても、決して鉄道オタクではありません。昔から、鉄道に限らず物のデザインには大変関心がありますし今でもそれは変わりません。

 特に、機能的なだけではなくどこか愛嬌というか人間くささというか情緒的と言ったら良いのか...そういう両者のバランスが取れたデザインに惹かれます。

 

 これからデビューする新幹線がどれだけ時間を短縮するのか知りませんが、そんなに‘時間’ばかりを追求してどこに行っちゃうんだろう?と思います。今の時代、日常レベルではもう充分速くて便利になっていると思うのですが。

 

 機能や便利さだけが追求されて他のもっと大切にしなければならないものが忘れられていくようで・・・なんか寂しい気がします。そんな事を考えながら、新しい新幹線の写真を眺めたのでした。 

 そういえば、今走ってる「N700系」新幹線はカモノハシそっくりだったな・・・。

 

追伸

 先日、ジョニー・デップ主演の「パブリック・エネミーズ」という映画を観てきました。1930年代に活躍⁉した銀行強盗の話ですが、そこに登場した曲線を基調とした車やレンガ作りの建物、ファッションはノスタルジックでどこか暖かみがあって良かったなぁ・・・。あの時代にタイムスリップしてみたい。

 

  枯れ芝生の葉間に粉砂糖のような名残雪            2009/12/20

 

 

 

 

 

明けましておめでとうございます

 今年は、寒い一日で始まりました。外は北風がビュービュー吹いています。

 

 金融危機の後遺症が続き、新政権の成果は未だ見えない・・・本当に先が見えない一年のスタートですね。

 この社会状況を反映してか、ここ数年、リストラにあって職を失われた方や経営がうまく行かずにうつになられてクリニックを受診される方が増えているように思います。

 

 こんな時代だからこそ、微力ながらも、こころが疲れた方々の力に少しでもなれたらと気持ちを新たにしております。

 

 皆様にとって、良い一年になりますように!

 

 北風でカラマツがしなるほど揺れています                        2010/1/1 

 

 

 

 

御柱祭

ずいぶんご無沙汰してしまいました(汗)。

 

 諏訪地方では、4月2日から7年に一度の「御柱祭(上社)」が開かれました。御神木を山から切り出し、山出し・里引きをし、諏訪大社に奉納するお祭りで、1200年程の歴史があるそうです。

 僕はテレビ中継でその様子を見ていましたが、たくさんの氏子と言われる人々が一致団結して御柱を引き、命がけで木落しや川越えをする様は、勇壮で感動を覚えました。

 

 現代社会は、核家族化や少子化が進み、社会、地域、組織、家族などでの人間関係が希薄になっていているように感じます。でも、このような祭りでたくさんの人々が一つの目的に向かって必死に協力し合っている姿を見ると、日本もまだまだ捨てたもんじゃないなと思います。

 祭りというのは、現代の私たちが忘れかけている歴史・伝統・文化・祖先の知恵・人とのつながりといったものを再認識させてくれる貴重な営みなのかも知れません。

 

 今年も福寿草が咲きました。もう春です                          2010/4/4

 

 

 

 

落ち込むということ

 この間、東京でシンポジウムがありました。様々な精神疾患の最新の知見についてその分野を代表する先生方が講演されるのを聴き、とても良い刺激になりました。

 

 講演の最後を締めくくったのは、五木寛之さんでした。五木さんは、ご存知のように日本を代表する作家です。約1時間あまりの講演でしたが、とても共感でき、またこころを打たれました。「私たちは、生きていると突然言いようのないゆううつ感に襲われることがある。でも、その感情は人として自然な感情であり、必要以上にあわてたり隠そうとしたり忌み嫌ったりしないで、時には受け入れていく覚悟も必要だ」というような内容だったと解釈しています。

 五木さんは、そのようなゆううつな感情は様々な国の文化の根底に流れていると言います。韓国では『恨(ハン)』、ロシアでは『トスカ』、ブラジルでは『サウダージ』、アメリカでは『ブルース』etc。

 

 僕はブラジル音楽が大好きで、パーカッションもやります。ブラジルには「スルド」という楽器があって、「ウッドー、ウッドー・・・♬」というサンバの基本となる二拍子を刻みます。僕が一番好きな楽器です。スルドを奏でる時は、その音の中に、悲しみや孤独、哀愁、憂鬱といった・・・マイナスな感情を充分に表現できる人ほどうまい奏者だと教えられたことがあります。それが、『サウダージ』です。毎年2月に開催されるサンバの祭典〜ブラジルのリオのカーニバルはとても華やかですが、彼らが人間のマイナスな感情をきちんと受け入れてそれが根底に流れているからこそ、あのような力強いエネルギーが生まれるのでしょう。

 

 では、日本には同じような感情表現はないのでしょうか?五木さんによれば、万葉集に『暗愁』という言葉が出てくるそうです。しかし、この言葉はいつの間にか忘れ去られ、現代では使われていないそうです。

 

 アメリカに追いつけ追い越せの高度経済成長時代には、ゆううつとか落ち込むといったマイナスな感情を表現することはタブーだったかのかもしれません。日本人の間では、いつの間にか、“がんばれ!やればできる!くよくよするな!気力で乗り越えろ!元気はつらつオロナミンC!、ファイト一発リポビタンD!・・・”といった体育会系の!?プラス思考ばかりが良しとされ、本当はプラス思考と表裏一体であるマイナス思考を見て見ぬふりをしてきたのかも知れません。たしかに、それによって日本は世界でも有数の経済大国になりました。でも、今までのやり方だけでは幸せになれないことを、リーマンショック以降の世界的不況で私達は思い知らされています。

 

 喜びがあれば悲しみがある、上機嫌があれば不機嫌がある、晴れやかな時があればゆううつな時がある、やる気があればおっくうがある、慕われ満たされる時があれば孤独な時がある・・・それが人間臭いところ、人としての魅力、人生・・・生きるということ。

 一日に昼と夜があるように、人のこころや人生にも昼と夜があるのです。それはどちらも大切で、なくてはならないもの。

 

 人は、マイナスな感情とプラスな感情〜「陰の感情と陽の感情」をいつも抱えながら生きていて・・・それが自然な姿なのです。

 だから、「陰の感情」を大切にすること・・・それは、強がらず自分をいたわり大切にすることであり、それは、他人もいたわり大切にすることにつながっていくことなのではないでしょうか?

 

 悲しい時は、我慢しないで思いっきり泣けばいい。 ゆううつでやる気が出ない時は、布団をかぶって冬眠するのもいい。イライラする時は思いっきり床を叩いて叫んでもいい。

 

 「陽の感情」だけではなく「陰の感情」にも、あわてずに真正面からきちんと向き合うこと・・・これは、とても大切なことなのではないかと思います。

 

 

  昨日は春日和、今日は春雨                                        2010/4/5

 

 

 

 

1歳の誕生日

 本日、クリニックは満1歳になりました。

 

 一年前の今日、まだ様々な事に慣れなくてバタバタしながら開院し、初日から患者様をお待たせしてしまい、冷や汗をかきながら診察したことを思い出します(汗)。まさに、ドタバタ劇でのスタートでした。その節は、患者様にご迷惑をおかけしました。

 

 でも、スタッフや先輩の諸先生方、ベルビアの方々、サポートチーム、そして何よりも患者様方の暖かい励ましと支えがあったからこそ、なんとか無事に1年やってこれました。

 本当に、“感謝・・・”です。

 

 開院当初250名程だった患者様が、今では700名を超えています。多くの患者様が私たちのクリニックを信じて来院してくださっていることは、大変光栄であると同時に責任の重さも感じます。

 「果たして、患者様の要望にきちんと応える治療や応対ができているか?」

 この一年間のクリニックの在り方を反省し、患者様にもっともっと満足していただけるようなクリニックにしていきたい・・・私たちスタッフはそう考えています。

 身が引き締まる思いです。

 

 これからも、よろしくお願いいたします。

 

 

 駅前の桜が満開になりました                           2010/4/13

 

 

 

 

春の雪

 今朝から雪が降っています・・・と言っても、空から降る雪ではありません。桜の花びらが家の周り一面に舞っているのです。

 

 家の建物のすぐ脇には、樹齢何年くらいでしょうか、高さ20m程の大きな山桜の木があります。今年もたくさんの花をつけました。満開の時はそれは見事で、木のてっぺんまで真っ白になります。

 

 その花がいよいよ散り始めました。さながら、牡丹雪が舞っているようです。地面も花びらで埋め尽くされています。

 

 散るのを観ながら、きれいだなと思うと同時にどこか寂しさも感じます。

 

 

  田に水が張りました                                  2010/5/14

 

 

 

 

また、年間3万人以上の・・・

  13日の警察庁の発表によると、昨年一年間の自殺者数がまた3万人を超え、32,845人だったそうです。これで12年連続で3万人を超えることになります。

 年齢別では50代が最も多く19.8%。あとは60代18.1%、40代16.0%と続きますが、40代は前年よりも5.9%も増加していてとても心配です。40代は働き盛りで職場では重要な役割を担っている世代ですし、家庭ではまだ子供は独立おらず住宅ローンが残っている方も多いでしょう。

 

 自殺原因の第一位は「健康問題」で、その中でもうつ病が最も多い。ですから、自殺者の数を減らすためにはうつ病を早期発見・早期治療していくことが不可欠となります。

 第二位は「経済・生活問題」。金融危機による不況が私たちの生活や心に深く暗い影を落としていることは、このデータを見てもわかります。

 

 普天間問題など国政には様々な問題が山積していますから首相を始め政治家の皆さんは大変だと思います。でも、自殺はその人の絶望の叫びであり、それは社会全体の危機的な状況から来る悲鳴です。まさに日本という一つの国の悲鳴です(実際、わが国の自殺率は世界的に見ても非常に高くて第6位、先進諸国中ではトップです)。

 だから、政府も全力で国民の生活が楽になるような施策(雇用問題の改善、債務超過者への支援、生活保護者対策etc...)を打ち出してもらいたいと思います。

 でも、今の政府を見ていると、どうも国民目線に立った政策がなされていないような気がします。政治家の関心は既に夏の参院選に行っているようですが、僕たち国民の生活はそんなこと言ってる場合じゃない状況だ思うのですが。

 

 このような世の中だからこそ、精神科医の役割は重要です。

 私たち精神科医は、少しでも多くの患者様を救ってさしあげなければならない・・・おこがましい言い方かもしれませんが、そう強く思います。

 

 こんな国の状況で政府はいったい・・・                       2010/5/15

 

 

 

 

学会に行ってきます

 19日から学会に行ってきます。「日本精神神経学会総会」が広島で開催されるのです。精神科領域の最新の知見が勉強できる、一年で一番大きな学会です。全国からたくさんの精神科医が集まります。

 

 いつも学会に参加すると、とても良い刺激を受けます。普段独りで診療をやってると、とかく独りよがりな治療になりがちです。でも、学会で様々な方々の発表を聞いてると、自分の治療を見直したり、迷っていたことがこれでいいんだと確信が持てたり・・・。学会で吸収した事は、その後の治療に方向性を示してくれます。書物を読んで勉強することも大切ですが、やはり耳学問が一番です。ですから、僕の治療には欠かせません。

 また、その土地の味に巡り会えることも楽しみの一つです。今回は広島だから魚介類とお好み焼きかな?せっかくだから、プログラムが終わった夜には、おいしい店を見つけて堪能してこようと思います。

 

 学会中は休診させていただくことになります。

 患者様にはご迷惑をおかけしますが、御理解の程、よろしくお願い致します。

 

 

 カラマツの若葉が日の光に映えてきれいです               2010/5/16

 

 

 

 

広島でもらったもの

 今月19日から22日まで、広島で行われた日本精神神経学会学術総会に参加してきました。精神科領域ではわが国で最大の学会です。全国から千数百名の精神科医が集まり、精神科の様々な領域の最新の知見が交換されました。そのプログラムに参加しながら、僕もたくさんの刺激を受けてきたのですが、その臨床や研究の知見から学んだ事もさることながら、僕の心の中ではある変化が起こっていることに気づきました。

 それは、「精神医学と芸術との親和性」というか・・・(なかなか言葉で表現するのは難しいのですが)・・・その二つの要素と、「祈り」ということです。

 

 たぶん、あまりにも唐突で抽象的な表現だから、「はア〜??」と思われる方も多いでしょうね(笑)。自分でも、気づいたことがまだおぼろげではっきりしないのでうまく表現できません。無責任と言われれば、本当にその通りです。許してください(笑)。

 

 

 プログラム終了後、せっかくなので、ひろしま美術館と原爆ドーム、原爆資料館を訪れました。

 ひろしま美術館は、印象派を中心に非常にレベルの高い作品を収蔵している美術館として有名です。モネの「睡蓮」をはじめ、ミレー、マネ、セザンヌ、ルノワール、ゴッホ、ロートレック、モデイリアーニ、そして僕の大好きなマチス、ルオー、シャガール、ピカソなどなど..どれも見応えのある作品ばかりでした。ただ、それと同時に開催されていた展覧会に出品されていたマグリットの作品が僕にはとても刺激的でした。ご存知の方も多いと思いますが、マグリットは20世紀に活躍したベルギー出身のシュルレアリスムを代表する画家です。

 

 美大生だった頃、僕はマグリットやキリコたちが描くシュルレアリスムの超現実的な世界にはまっていました。もちろん今でも大好きです。現実と‘現実とは思えない世界(あえて非現実とは表現しません)’が混在する現実。どこからが本当でどこからが本当でないのかわからない状態・・・そもそも、この世の現象には、現実と非現実、実と虚、正常と異常、正と悪etc...などときっちり分けられるのだろうか??むしろ、分けられないのが真実なのではないか?こういったようなことを、シュルレアリスムは教えてくれるのです。

 

 そしてそのことは、僕のライフワークである精神医学でも重要なテーマだと思うのです。

 芸術と精神医学がオーバーラップする領域、そもそも芸術作品は作家の深層世界の一表現であり、それを体験する側が自分の心理に投影してこころを揺さぶられるわけですから、オーバーラップすることは当然かもしれません。

 

 さらに、原爆資料館におさめられた遺品を見、語り部の方の体験談を聴き爆心地に立った時、広島の方々が原爆によって受けた苦しみ〜体とこころの傷〜というものをいやがおうでも考えざるを得なかった。60年以上たった今なお、原爆の放射能による後遺障害で苦しんでおられる方が多いとのことですが、その時に受けたこころの傷もまたとても深いものだと思います。僕は、ただただ、慰霊碑の前で祈るしかありませんでした...。

 

 まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、内容がごちゃごちゃしてきそうなので今回はこの辺でやめにします。この続きはもう少しまとまったら書きますね。

 

 でも、「精神医学、芸術、祈り」・・・この3つのテーマは、今後僕が精神科医として生きていく上でヒントを与えてくれるような・・少し大げさかもしれませんが・・・そんな気がして広島を後にしたのでした。

 

 外は梅雨の走りか風と雨                               2010/5/23

 

 

 

 

悔しい〜!!

 悔しい!!! 

 

 日本×オランダ戦。そういえば、皆さんもおわかりでしょう。4年に1度開催されるサッカーの祭典FIFAワールドカップ。地区の予選を勝ち抜いた32ヶ国が、今、南アフリカを舞台に世界一を目指して闘っています。昨晩行われた、その1次リーグ。日本は世界ランキング第4位の優勝候補オランダと対戦しました。日本よりはるかに格上の強豪です。昨年の親善試合では、日本はオランダに3-0と完敗しています。試合前の予想ではオランダのすさまじい猛攻があるのではと思いましたが、昨日の日本はオランダの攻撃陣をしっかりとマークして仕事をさせません。オランダは思うように攻められず、逆に日本はオランダが前がかりになるとすかさず空いたスペースに切り込んでシュートにまで持っていくシーンが何度も見られ、シュートの数では日本がオランダを上回っていました。選手たちはプレーにとても集中していたと思います。優勝候補相手に物怖じせずに堂々と闘っていたので負けた感じがしないのです。悔しいです!

 僕は昔からサッカーが大好きで、小学校の頃はサッカーをやっていましたし、東京に住んでいた頃はJリーグになる前、読売クラブ(現:東京ヴエルデイ)というチームをサンバの楽器を叩いて応援していました。当時は、カズやラモス等がいました。そんなこともあって、日本代表の試合前には俄然気合いが入ります。

 

 日本代表は、ワールドカップ開催前の親善試合では4連敗とさんざんの出来でしたが、それがかえって良かったのでしょうか。バラバラと言われたチームの雰囲気も、本番ではしっかりとまとまっているようです。試合前、国家を歌うとき、選手も監督もコーチもスタッフ全員が肩を組んで臨んだのも選手からの提案だったということですが、こんなシーンは今までの日本代表には見られなかったことです。皆で気持ちを一つにして闘おうという強い意志を感じます。

 技術も大切だけど、やはり最後はそれぞれの個々の心とそれがまとまるチームの心〜精神力が大切なんですね。それがあれば、昨日のように自分よりもはるかに強い巨人をも脅かし慌てさせることができるのです。

 

 闘いは南アフリカだけではありません。日本の国立競技場をはじめ代々木の特設会場やスポーツバー、そしてお茶の間のテレビの前等・・・国民もテレビ中継を観ながら自分たちの心の中で選手たちと一緒に闘っていたのです。そこにも、日本チームと同じような強い絆がありました。

 声を合わせて「ニッポン!(チャチャチャ)」コールをし、惜しいシーンでは地団駄踏んで悔しがり、すばらしいプレーには拍手で精一杯賞賛する。知らない人同士でも気持ちを一つにできた90分だったのではないでしょうか?とても素敵なことですよね。今、日本は明るいニュースがありませんが、いざとなったら皆が一つになれるんだなと思えてとてもうれしかったです!

 

 さあ、第3戦はデンマーク戦です。やはり格上のチームですが、1次リーグを突破するにはどうしても勝たなければなりません。チームの雰囲気は試合を重ねるごとに良くなってきているので、次は絶対に勝って1次リーグを突破してほしい!

 

 “ガンバレ、日本!”

 

 まだまだ寝不足が続きそうです                            2010/6/20

 

 

 

 

ついにやってくれました!

 ついに、サッカー日本代表がやってくれました!今朝の夜中の3時半にキックオフしたデンマーク戦。格上のデンマークを相手に、堅い守備と効果的な攻撃で3-1で見事に勝利!これにより、日本は決勝トーナメントに進むことになりました!試合全体を通じて、日本がデンマークを圧倒していました。まさに、実力でもぎ取った勝利です。

 

 今回の日本代表は、チームワークがとてもいい。サッカーは、個々の選手の能力が高くてもそれを生かすチームワークがなければ勝てません。今回フランスが素晴らしい選手を揃えながらチーム内の確執で決勝トーナメントに進めなかったのも、それを象徴しているでしょう。 

 

 さあ、これで日本はベスト16に入りました。これからは一発勝負のトーナメント方式です。相手はパラグアイ。南米予選で、アルゼンチンやブラジルに勝っている強豪です。

 相手の方が遥かに実力は上ですが、日本にはチームワークという強力な武器があります。皆が力を合わせれば、きっとサプライズを起こしてくれるでしょう。

 

 “ガンバレ、日本!!”

 

 眠くても爽やかな一日でした                            2010/6/25

 

 

 

 

 

悔しい〜!!!!

 ワールドカップ決勝トーナメント。29日に行われた日本×パラグアイ戦は、0−0のまま延長戦へ。それでも決着がつかず、PK戦。残念ながら5-3で日本は敗退しました。

 試合は格上のパラグアイを相手に日本が互角の闘いをし、何度も決定的なチャンスがあったにもかかわらず最後はPK戦で負けるという結末はとても悔しい!!

 あまりにも悔しくて、試合が終わった後も朝まで眠れず、翌日はつらい一日でした(涙)。

 

 でも、日本代表はよくがんばりました。開催前は国内外の評価は低いものでしたが、本戦が始まってからは、まとまったチームワークを武器にどんどん強くなり、世界の強豪とも対等に闘える事を証明しました。

 その闘いぶりを観て世界は驚きましたし、僕たちも勇気と感動をもらいました。だから、胸を張って日本に帰ってきてほしいと思います。

 

 次の2014年ワールドカップはサッカー王国ブラジルでの開催。その時は、ベスト4に入る日本代表を是非観てみたい!

 

 

 これでやっと寝不足の日々が終わります                  2010/6/30

 

 

 

 

美術の世界から医学の世界へ *1

 毎日暑いですねぇ(汗)!ここのところ寝苦しくて、寝不足の毎日が続いています。

 

 

 さて、講演に行くと、よく「先生は、どうして美術の世界から医学の世界に変わられたんですか?」という質問を受けます。自分のことを公の場でお話しするのは苦手なのですが、今回はそのいきさつをお話ししたいと思います。少し長くなるかもしれませんが、よろしかったらお付き合い下さい。

 

 実は、僕は物心ついた頃から医者になりたかったんです。「まこちゃん(僕のことです)はおおきくなったらなにになりたいの?」と聞かれると、決まって“おいしゃさん!”と答えていました。父が大学病院の勤務医でしたからその影響が大きかったと思います。

 

 4,5歳くらいのことだったでしょうか?父親の職場に連れて行ってもらったことがあります。当時の大学の研究室というのは古びてて、長く続く暗い廊下の片側にはたくさんの研究用に使うモルモットがかごに入れられていました。振り返ると、廊下の突き当たりの窓からは夕暮れの朱に染まった空が見えます。子供心にどことなく、物悲しさと寂しさと不安を感じました。

 

 しばらくして、廊下の反対側の方から足音が聴こえてきました。父でした。暗い廊下で父の白衣だけが強烈に目に飛び込んできました。その時、白衣をひるがえしてさっそうと歩く父の姿が何ともかっこ良く映ったのです。

 父は内科医で、常日頃から患者さんに献身的に接していましたしその姿を僕も見ていましたから、医師という職業の素晴らしさはおぼろげながら感じていたのですが、最初に医師になりたいと思ったきっかけは、おやじの白衣のかっこよさだったのです。子供って、単純ですよね(笑)。

 

 その後も‘医者になりたい’という気持ちはずっと変わらず大学受験を迎えましたが、僕は高校に入ってから親に反抗してグレてほとんど勉強をしなかったので成績なんか惨憺たる有様。一学年360人中356番とか、下から数えた方が楽なくらい。医学部を受けると言ったら、クラスメートには「戸田は偉大(医大)だなぁ」とからかわれ、職員会議でも問題になりました。おそらく、高校の大学合格率が下がると判断されたのでしょう(笑)。でも、その時の担任がとても寛容な先生で、「お前の好きなようにしろ」と言ってくれ初志貫徹で医学部を受け、案の定・・・落ちました。

 

 それから3年間宅浪(自宅浪人)して医学部を受け続けましたが受からず、俺には無理だとあきらめ、小さい頃から絵を描くのが好きだったので美大受験に切り替えました。小学校の頃から、絵を描けば必ずといって良いほど賞を取ってました。高校生になった頃は、絵を描くことと共に評論することにも興味があったので、両方を学べて、どうせ受けるなら最高峰の所を・・・ということで藝大(東京藝術大学美術学部芸術学科)を受験することにしました。

 

 美大受験というのは半分バクチみたいなものです。実技重視ですから、模試や偏差値はあてにならないし大学の情報もほとんど入ってこない、自分の描いたものや表現したものが試験官の目に留まらなければダメ・・。しかも、藝大は受からなくても記念になるからといって受ける(記念受験する)受験生もいるような大学です。だから、入試もとんでもない倍率になります。毎年、倍率ランキング第一位が藝大でした。だから、受かる自信なんて全くありませんでした。今から考えると、若気の至りというか何も考えてないというか、無謀なことをよくやったなと思います。

 

 藝大の試験は定員は20名で、1次試験[センター試験+英語、国語、小論文(美術評論)]と2次試験(2日間に分けて、8時間のデッサン、面接)があります。1次に受かった者が2次に進むのですが、1次を受けた時に全然手応えがなくて落ちたと思い、“4浪かぁ〜”とあきらめて1次の発表の時は翌日から始まる2次のデッサン等の準備はしていませんでした。だから1次に受かったとわかった時は信じられなくて・・・しばらく上野公園のベンチで1時間くらいボ〜っとして・・・受かったうれしさよりも、“ヤッベェ〜。何も準備してない・・・。ど〜しよう!???”という恐怖感が怒濤のように襲ってきてパニクりましたが、我に返って、新宿の小田急百貨店の文房具売り場(普通は絵画道具専門店に行くのですが慌ててて時間もなかったので)でとりあえず6Hから6Bまでの鉛筆と練りゴム(デッサンで使う粘土のような消しゴム)を買いました。

 

 翌日のデッサンの試験では、受験生の誰もが(予備校で専門対策をしてきた人ばかりだったようで)見たこともないような描画道具が入っている立派な画材道具入れを持ってきています。木炭や鳥の羽根でできた刷毛を揃えている人もいました。

 片手に12本のトンボ鉛筆と練りゴム一個を握りしめている僕を見て‘なんだあいつは?’という顔をしてる奴もいて、恥ずかしさと恐怖でかなりビビって、午前中はほとんど何も描けませんでした。休憩を挟んで午後の制作に入ったのですが、隣の奴はもうほとんど描き終わってて、相当ヤバいと思い・・・その『追いつめられた感』がかえって良かったのでしょうか・・・“経験や道具なんてなくていいじゃないか。経験がない分、試験官には新鮮に映るかもしれない。俺は俺のスタイルで描こう”と考え・・・開き直りですね・・・そう思ったら、その後は集中して楽しんで描くことができました。

 そもそも、僕は追いつめられないと本気にならないタチなのです。

 

 そんなかんなのバタバタ劇の受験でしたが、結果的には運良く拾ってもらえました。当時は3年も浪人して身分がなくひどい自己嫌悪の状態にありましたから、“これでやっと居場所が決まった”と心の底からホッとしました。 親もよく我慢してくれたと思います。

 

 藝大に入学してからは、大好きな美術とその後のライフワークとなるサンバパーカッション♪の世界に没頭しました(専門研究やサンバについては、また別の機会に詳しくお話ししますね)。

 

 入学した頃は学部を卒業して大学院に進み美術評論をしようと漠然と考えていましたが、卒業が近づいてくると、評論は人の作品をああだこうだと重箱の隅を突っついているような気がして自分の進むべき道に疑問を感じ始めました。結局、大学院には進まず、また身分のない状態になりました。

 その頃もう25歳になっていましたから就職も難しく、ちょうどその時期に父親と大げんかして(おそらくいつまでもプラプラしてる息子に愛想が尽きたのでしょう)勘当状態になり仕送りも止まったため、その日からフリーター生活が始まりました。

 

 

 

 暑い・・とにかく、あづい                               2010/7/25

 

 

 

 

美術の世界から医学の世界へ *2

 学生時代は良かった。親の仕送りがあることをいいことに、将来のことを何も考えず自分の好きなことに没頭できました。幸せなご身分だったんですね。でも、勘当されて仕送りが止まってからは、とりあえず家賃を払い食べていくだけのお金を稼がなくてはいけません。求人雑誌でできるだけ時給が高いバイトを探して、宅配便の仕分け、出版会社の写植、ウエイター、塾の講師etc...いろいろな仕事をやりました。でも、いつもどこか満たされない。現実は、どうやって食っていくかというかなり切羽詰まった状況だったので贅沢なことを言ってる場合ではないのですが、それでも毎日、‘このままでいいのか?何か違う’と思ってました。

 

 ある時、結婚を前提に付き合っていたガールフレンドと「よし寿司」という寿司屋で食事をしてたのですが、(もう付き合いが長かったのでしびれを切らしたのでしょう)彼女に「もういい加減落ち着いてよ」と言われたのに腹を立て、アルコールも入っていたせいか気が大きくなって、“じゃあ、資格取ってやるよ。医者になる!!”と口走ってしまったのです。翌日、酔いから醒めた時‘しまった’と思いましたが、既に時は遅し。彼女は向こうの両親に「彼が医者になると言うから一年待ってあげて」と伝えてしまっていたのでした(後に、「よし寿司事件」と言ってます)。

 

 こうなったら、やるっきゃない・・・。

 その日に、新宿の紀伊国屋書店へ高校の教科書と参考書を買いに行きました。お金に余裕がないので、必要最小限のものしか買えません。高校時代はろくに勉強をしていなかったし、浪人時代に勉強したこともほとんど頭から抜けてしまっていたので基礎からやり直さなければいけません。だから、教科書もできるだけ字が大きい大判の物を選びました。ほとんど1からのスタート。バイトの合間や行き帰り、コインランドリーで待ってる時や食事中・・・とにかく寝るのとシャワーを浴びる時間以外は全て教科書と参考書と問題集とにらめっこしてました。もう、なりふりかまわず、死にものぐるいで勉強しました。センター試験前には、教科書も参考書もページがバラバラになってセロハンテープで留めた状態になっていました。

 あんなに必死に勉強したのは、後にも先にもあの時だけです。

 

 今から考えると、小さい頃からの“お医者さんになりたい”という夢を捨てきれてなかったのだと思います。どこかで、‘自分がやりたいことをあきらめた、そこから逃げた’という負い目と後悔があったのだと思います。

 

 そんな僕を神様がちょっぴり憐れんでくださったのでしょうか?

 平成元年、信州大学医学部が拾ってくれました。ここから、僕の医学への第一歩が始まりました。

 

 

 

 今は美術の世界から離れていますが、全く異なる世界にいるのではないと思っています。精神医学は‘こころの科学’ですから、美術の世界と大いにオーバーラップするのです。芸術作品は、作家のこころの叫びを具現化したものです。作品を通して作者の思いが伝わってきて、作品に出会った人のこころも動かします。その有様は、精神医学でも同じです。患者さんが癒されるには、患者さんと医師のこころのやりとりが何よりも大切だからです。

 

 最近、精神科領域では大脳生理学の発達によって良い薬がたくさん出てきました。たしかによく効くので、ここ10年の精神科治療の進歩にはめざましいものがあります。また、ICD-10やDSM-Ⅳといった疾患の診断基準もあります。

 しかし、いくら診断基準や良い薬があるからといって、診断基準一辺倒の診察や薬物療法中心の治療に終始してしまうならば精神科医はいりません。なぜなら、診断や薬のマニュアルさえあれば、技術を持たない人でも診療ができてしまうからです。

 

 では、精神科医を精神科医足らしめるものは何か?それは、患者さんと共にいて、患者さんとどこまで深くこころの交流ができるか?・・・そういうところに、プロとしての精神科医の存在意義があるのではないかと思います。

 

 そのためには、患者さんの気持ちを汲み取ろうとする真摯な姿勢と確かな技術がなければなりません。よく「傾聴と共感」と言われますが、それはそんなに大それたことではありません。

 どれだけ人が好きか。どれだけ相手の立場に立って気持ちを汲み取れるか。どれだけ相手のいい所を見抜けるか。どれだけ常識にとらわれない柔軟な発想が出来るか。どれだけ自分のこころの中に沸き起こる感情を見つめ治療に生かせるか・・そういうことが大事なのではないかと思います。

 

 でも、言うは安しで、これがなかなか難しい。

 もっともっと自分の技術と人間力を磨いて、患者さんとより深く向き合っていけるようになりたいと思います。

 

 

  また、雷ゴロゴロが始まりました(怖)                   2010/7/25

 

 

 

 

人体センサー???

 いやア〜、毎日本当に暑いですね。信州に暮らし始めて20年ちょっとになりますが、こんなに暑い夏は記憶がありません。自宅にはクーラーがないので、休日は家でグッタリしています(汗)。

 僕は愛知県というとても暑い土地で育ちました。愛知の夏の暑さは半端じゃありません。湿度も高いうえに気温も高いので、まさにサウナ状態です。昼間は、暑い空気がまとわりつく感じですし、夜は一晩中クーラーを回してないと眠れません。そんな環境で育ったし誕生月も8月だから暑さには強いはずなのですが・・・。

 20年以上も涼しい信州に住んでてこの気候に慣れてしまったせいか、今年のような猛暑は体がついていかないですね⤵。逆に、患者さんに、「先生、お体に気をつけてください」と声をかけていただくこともあり、患者さんのためにも体調管理をしっかりしなくちゃ・・と思います。

 

 

 さて、先日のニュースで、ある自治体が、一人暮らしの高齢者の方の住居に人体センサーを設置することを決めたという報道がされていました。センサーで監視することで、(自治体が)その方の生存の有無の確認をするということのようです。

 最近は、核家族化が進んで一人で生活する高齢者が増え、行方不明になったり亡くなられていたりしていても誰も気づかないことが多い。それでこういう施策が出てきたようですが、このニュースを見た時とても違和感を覚えました。家族や親戚、知人、隣近所といった人達と関われないで一人で人生の最後を迎えなければならない高齢者がたくさんいらっしゃる現実を知らされたことと、人の存在を機械で確認するという発想にどこか冷たいものを感じたからです。

 

 それだけ、親子や兄弟といった家族の絆が薄れてきているということでしょうし、もう少し広げれば、隣近所や地域、社会の絆も同様に薄くなってきているということなのでしょう。都会のマンション等では、壁一枚隔てても、隣にどんな人が住んでいるかわからないなんて話はざらに聞きますから。

 

 

 また、あるお寺では、無縁仏(亡くなった時に身寄りがなく、誰にも引き取ってもらえない方)を引き取るボランテイアをしているそうです。そして、最近はなんと・・・宅配便で!?遺骨が送られてくるケースが増えているそうです。その多くはお一人で亡くなられて身寄りがない方ですが、中には、ちゃんと家族や親族がいるにもかかわらず、生前中に疎遠だったために関係者が引き取りを拒否するケースもあるとのこと。なんとも、やりきれない話です!

 

 高齢者宅の人体センサーといい、遺骨の宅配サービスといい・・・いったいこの国は、いつからこんな風に‘人の尊厳’が大事にされなくなってしまったのでしょう?

 どこか、おかしいと思いませんか?

 

 昔は、両隣3軒は家族同然で暮らしていて、お互いにおせっかいを焼き合って暮らしてた。当然、良い点も悪い点もあったでしょうが、そこには、何よりも、人の情やコミュニケーションが当たり前のように存在していたはずです。おせっかいするのもされるのも確かにわずらわしいかもしれません。でも、そこには少なくとも、お互いの存在を認める意識が働いていたでしょうし、そこから情やコミュニケーションが自然に生まれたでしょう。それゆえ、皆ひとりぼっちにはなりにくかったのではないでしょうか?

 また、おじいちゃんやおばあちゃんは一家の大先輩であり‘主’的存在でしたから、たとえどんなにボケても一番広くて良い部屋に鎮座してて敬われてました。そこには、おじいちゃんやおばあちゃんの‘人’としての役割や存在感(目上の人を敬うこと)を大切にする伝統があったのです。そして、その存在感は、家族だけでなく地域も大切にしました。‘長老’という形で。今でも、世界を見れば‘長老’がもっとも敬われ活躍している社会はたくさんあります。

 

 でも、今の日本は違いますね。

 欧米から入ってきた‘個人主義’が一人歩きしてしまったせいか、おせっかいをしたりされたりが、干渉的なこと・わずらわしいことと思われるようになった。

 本来、個人主義が健康的であるためには、個人の尊厳が尊重されながらも、個人が孤独にならないように、個人と家族、個人と地域や社会が深い絆で結びついていることが不可欠でしょう。そして、その基礎になっているのは、欧米社会ではキリスト教なのです。

 

 日本は、欧米のように唯一絶対の神を信仰する習慣はありません。でも、昔は、先述したようないい意味でのおっせっかいを中心とする「村社会」が存在したので、欧米のような「神」の存在がなくても支え合い、個人の尊厳も保たれたのではないでしょうか?

 

 しかし、今の日本は、昔見られたようないい意味でのおせっかいが希薄化し「村社会」が崩壊し、個人主義を健康的足らしめる人と人との関係性も希薄化してしまっているので、‘不健康な個人主義’だけが蔓延し、そのために様々な問題が生じているのではないかと思うのです。

 

 まさに、家族機能不全・社会機能不全・国家機能不全状態だといっても過言ではないと思います。

 

 社会全体が、高齢者を第一線から身を引いた人のようにとらえ、「もう何もしなくていいですよ」と言うかのように隅に追いやってしまっている感じがするのもその一つの例ではないでしょうか?

 国も、高齢者政策などと声高には言いますが、実際は福祉にかける予算を積極的に増やそうとする姿勢は見えず、高齢者を軽んじているようにしか思えません。そのため、年金の問題にも現れているように、僕たち自身も、どこか潜在的に老後の不安を抱えて生きています。今は、あまり将来に希望が持てない社会ですよね。

 だから、いろいろな面で孤独な高齢者が増えてきているのも当然なことではないかと思います。

 

 一人暮らしで亡くなられたり誰にも見送ってもらうことなく宅配便で遺骨を送られてしまう方にも、生前には一生懸命生きた、まさにonly  one の歴史があったはずです。なのに、最後は誰にも看取られることなく葬儀もあげてもらえずこの世を去っていかなければならないというのはなんと悲しいことでしょうか。

 

 一方では、せっかくこの世に生を受けても、親から暴力を振るわれたり食べ物を与えられなかったりして亡くなっていく子供たちがいる。

 

 人生の大先輩である高齢者や、これからの時代を担う子供たちを大切にしない国に、明るい未来なんてあるはずがありません。

 これからの日本は、本当にどうなっちゃうのでしょうね(悲)。

 

 

 昔から、日本人は情に厚い国民だと言われてきました。武士道という素晴らしい文化も育み、義敬、礼節、情けといったものを大事にしてきた国民のはずです。その文化はいったいどこへ行ってしまったのでしょう?

 とても寂しいことです。

 

 僕も偉そうなことは言えませんが、今の日本人は祖先から受け継いできた大事な物をどんどん忘れていっているような気がしてなりません。

 

 昔から僕たち日本人が大切にしてきた、やさしさ、思いやり、礼節、目上の方への敬い、情け、謙虚さといったもの・・・これらは皆、世界に誇れる日本人の良さだと思います。これらのものは、まだ今でも僕たちの心の中から完全に消え去ったわけではない。

 

 人と人との関係性が薄らぎつつある今こそ、もう一度僕たちは、祖先が育んできた日本人らしさを意識しなければならない時に来ているのではないでしょうか?


 

 

 自分は、人に見送られるのか人体センサーに見送られるのか、はたまた宅急便で送られるのか・・・できれば、最後は人に見送られたいな。

 

 

 

    一雨来てくれないかなア                       2010/8/22

 

 

 

 

本当に...

 暑いですねえ...。今年の暑さは異常ですね(汗)。

 

 クリニックのクーラーも一日中全開で回してますが、なかなか冷えてくれません。狭い待合室でお待ちの患者さんには、大変申し訳なく思っております。

 

 僕も、暑苦しくてなかなか熟睡できず睡眠不足気味⤵。気をつけないと、‘医者の不養生’となってしまいます。

 

 それにしても、こんなに暑い夏はあまり経験がありません。

 

 皆さんは、体調はいかがですか?9月に入っても残暑は続きそうですから、水分をしっかりとって、熱中症にはくれぐれも気をつけてくださいね。

 

 

  昼間は真夏、夜は秋の虫の音                         2010/8/30

 

 

 

 

ご無沙汰してました

 1ヶ月半、ご無沙汰してしまいました。

 

 今年の夏が異常に暑かったせいか、9月はバテ気味でずっと体調が今一つな状態が続いていました。ここのところ急に冷え込んできたので、風邪を引かれている方も多いようです。うがいと手洗いをしっかりしないといけませんね。

 

 先日、チリの落盤事故の救出作戦が終了し、33人全員が無事救出されたことが報道されました。70日間地下で恐怖と不安の中で耐えた鉱夫の方の精神力と体力もさることながら、救出にあたった様々な人達や家族の知恵と勇気には感動を覚えました。僕はもともと閉所恐怖症の気があるから(汗)、70 日間も地下に閉じ込められていたら耐えられなかったと思います。

 

 地下のリーダー、ルイス・ウルスアさんは、限られた食料を節約しながら摂るようにし、部下を「働く人、休む人、寝る人」の3交代制に分けて規則正しい生活をすることを指示し、不安に陥った人を励まし続けたそうです。落盤事故があってしばらくは地上と連絡が取れず、救出される保証は全くなく、鉱夫たちの精神は想像を絶する状態だったはずです。当然、ルイスさんも人間ですから、何度も絶望的な気持ちに襲われたことでしょう。

 しかし、彼は最後まであきらめず自分の任務を果たし、最後は部下が全員救出されるのを見届けてから救出されました。

 人は、極限状態に追い込まれた時にその人の真価が問われます。そういう意味で、ルイスさんは、人間としてリーダーとして本当に素晴らしい人だなと思います。

 文句無しに、“かっこいい!”。

 リーダーの統率力に加え、鉱夫たち皆のチームワーク(堅い信頼関係)、そして、決してあきらめず希望を捨てなかったことも、70日間という途方もなく長い日々の支えになったのでしょう。

 

 救出チームの「穴堀屋」の技術も素晴らしかった。細心の注意を払いながら、700mというとんでもない深さまで正確にかつ繊細に掘り遂げた。家族もやがて再会できることを信じて(確信して)希望を捨てなかった。

 それぞれの立場の人達が、国境を越え、あきらめず希望を捨てず、自分達が持てる力を最大限に発揮し結集させ最後までやり通したからこそ、“奇跡”が起こったのでしょう。

 また、チリ国内だけではなく、世界中の人達の祈りというかパワーも救出劇に一役、いや、それ以上買ったのではないでしょうか?

 

 奇跡というのは、ただ偶然に起こるものではない。

 知恵・技術・努力・冷静さ・励まし・愛情・希望、そして絶対あきらめない強い信念...そういった人間が持っている様々な素晴らしいものが合わさってこそ奇跡はもたらされるのだということを、今回あらためて教えられました。

 

 最近いいニュースがなかったのですが、このニュースでこころが暖かくなった方は僕だけではないのではないでしょうか?

 

 最近はニュースといったら悪い内容ばかり。「いいニュースばかり流す専門チャンネル」みたいなのが1つくらいあってもいいと思うのですが...皆さん、そうは思いませんか?

 

 

 

 野アザミが白い帽子をかぶりはじめました                2010/10/17   

 

 

うたたね

 今年の気候は変ですね。記録的な猛暑だったかと思うと急激に冷え込んだり、10月の終わりに台風が来たり。なかなか、体がついていかないです。僕が住んでいる所はが標高1050mありますので、この所朝晩の気温が5℃前後になって冷え込む日が多くなりました。

 

 さて、以前にもお話ししましたように、最近患者様が多く訪れていただくようになって、待合室が混むことが日常的になってきました。何ぶん狭い待合室なので、患者様にはご迷惑をおかけしていると感じております。

 でも、患者様の中には「アロマのいい香りとBGMのおかげで、気持ち良くて眠ってしまいました」と言って診察室に入って来られる方がいらっしゃいます。中には、お呼びしても一回では起きて下さらない方もいらっしゃいます(笑)。

 

 ‘お待たせしてしまい申し訳ありません’という気持ちと同時に、待合室で少しでもリラックスしていただけて良かったという安堵感も感じます。

 

 狭い待合室ですが、そこに集まる方々の中に一つのコミュニテイーのような暖かい雰囲気を作れたらいいなと思います。

 

 

 

隣の林は秋のファッションショー                          2010/11/3

 

 

 

 

微笑ましい出来事

 ずいぶん冷えてきましたね。あと少しで氷が張りそうな気温です。例年より早く、スタッドレスタイヤに履き替えました。

 

 今日の診察中に、ちょっとうれしいことがありました。

 

 僕が診察室のドアを少し開けてある患者様をお呼びした時、その患者様がなかなか入って来られないので、待合室の方を見ると患者様方がなにやら立ち上がってザワザワされています。どうしたのかなと思って見ていると、別の患者様が診察室のドアを広く開けて、皆に支えられながら松葉杖をついた患者様が、ちょっと照れくさそうな表情でゆっくり入っていらっしゃいました。

 お呼びした患者様は、足を骨折されて松葉杖で来院されたのでした。実は、この患者様は前回の診察の時から松葉杖をついていらっしゃったのですが、そのことを僕はすっかり忘れていたのです(汗)。

 

 患者様には申し訳ないという気持ちを抱くと同時に、その患者様を他の患者様が皆で協力し合って助けて下さった光景に、僕はこころがとても暖かくなるのを感じました。助けて下さった患者様が皆さん笑顔で対応されていて、お呼びした患者様も大変うれしそうにされていて....。

 

 クリニックに来院される患者様は、皆さん優しい方ばかりです。

 

 広い心が起こした、狭い待合室での1シーンでした。

 

 皆様、ありがとうございました!

 

 

 

外は寒くても、クリニックの中は暖かいです               2010/11/15

 

 

 

 

 

 

 

素敵な時間

今日は、とても懐かしい方々と会食してきました。

 

 精神科研修医時代にお世話になった元教授の吉松和哉先生や先輩、同期の皆さん約10名が東京で集まったのです。10数年ぶりの再会でした。

 

 吉松先生は、日本を代表する精神療法家で、僕が最も尊敬する恩師です。今も、大学で教えていただいた頃と少しも変わらず、頭脳明晰で、私の日頃の疑問にも的確に答えて下さいました。それに、とてもお元気そうで、それもまたうれしい限りでした。

 

 また、研修医時代はさまざまなことを覚えていかなければならないので、同期の仲間は、まさに、喜びもつらさも共有するのですが、会食中は当時の懐かしい話にも花が咲き、それはそれは楽しいひとときとなりました。同期の仲間も、それぞれの分野で活躍していることを知り、僕もがんばらねば!と感じました。

 

 料理もおいしく、本当に充実したひとときでした。

 

 吉松先生、ありがとうございました!

 

 

 

富士山がくっきり見える穏やかな一日でした                    2010/12/5

 

 

 

 

 

 

今年もあと1日

今年も、残すところあと1日になりました。

 

 本当に、月日が経つのは早いなあと思います。勤務医で仕事をしていた頃以上に、時間が経つのが早いと感じます。

 

 今年も、様々な方々にお世話になりました。

 個人的には、クリニックも2年目を迎え、クリニックでの診療や運営に慣れてきたこともあり、昨年のような絶えずドタバタしている(汗)感じはなく、比較的落ち着いて仕事ができた1年だったように思います。

 でも、慣れるということは気がゆるむことにもつながりやすいですよね。僕も、気のゆるみ・油断のために、診療の質を下げてしまったことも多々あったように思い、反省しています(汗)。

 

 一方で、患者さんからたくさんのお話を聴かせていただき、一緒になって喜んだり悲しんだりしました。たくさんのことを、教えても頂きました。

 一番うれしかったのは、やっぱり、患者さんが良くなっていかれる姿を見させていただくことでした。

 

 そういう点で、僕自身が、患者さんからたくさんのエネルギーを頂きました。

 本当に、ありがとうございました!

 

 12月に入り、カルテ番号が1000番を越えました。ここのところ、一日に40〜50人程の患者様が受診されています。

 初診の患者さんは口コミで受診される方が多く、大変光栄に感じます。

 たくさんの患者さんが、このクリニックを信頼して来院してくださっていることに感謝すると同時に、もっと自分を磨かなければと思います。

 

 また、最近は患者さんの数が急激に増えたために、お待たせしてご迷惑をおかけすることが出てきており、この点が、今の一番の悩みどころです。

 

 来年は、どんな状況でも(たとえ、どんなに時間が限られていても)、患者さんのお話を誠心誠意聴かせていただくという、開院時に決意した初心は忘れずに、仕事に取り組んでいきたいと思っています。

 

 今年一年、本当にお世話になりました。

 

 来年が、皆様にとっても、実りある年になりますように!

 

 来年も、よろしくお願い致します。

 

 

 

月光に映えるベランダのパウダースノー                  2010/12/31

 

 

 

明けましておめでとうございます

 

 新年、明けましておめでとうございます。

 

 今年は、寒いお正月となりました。クリニックを開院して、2回目の年明けです。当院は、1月4日が仕事始めとなりました。

 

 患者さんおひとりおひとりにとって、良い年となりますように・・・

 

 少しでも良い医療サービスが提供できるように、今年も、スタッフ一同、気持ちを新たにがんばっていきたいと思っております。

 

 本年も、よろしくお願い致します。

 

 

 

早朝の冷気にも負けず朝焼けに染まる富士               2011/1/5

 

 

 

 

大腸検査

 今日、大腸内視鏡検査を受けてきました。

 場所は、元の古巣のJA長野厚生連富士見高原病院。懐かしくて僕の大好きな病院です。

 

 そもそも、大腸検査を受けようと思ったのは、開業してしばらくたった頃から、お腹が張ったり、便秘と下痢を繰り返していて、それがなかなか治らないからです。

 小さい頃から、緊張するとお腹が張ったり痛くなったりする傾向はあったのですが、今回は年齢的なこともあり、思い切って検査を受けてみることにしました。

 

 この検査は大変ですねえ。検査を受けたことがある方はおわかりだと思いますが...。検査前に2ℓの下剤を2時間半かけて飲むのですが、これがとにかく、まずい!んです(汗・涙)!!。お腹の中をきれいにするためなのですが、内視鏡検査よりもこの下剤を飲む時間の方がつらい感じです。

 

 幸い、検査の結果は特に異常はなかったので、かなりホッとしました。今病気になったら、患者さんに迷惑をかけてしまいますからね。

 

 でも、今日は久しぶりの古巣に戻って、とても暖かい気持ちになりました。当時一緒に働いていたスタッフが気軽に声をかけてくださって、久しぶりに懐かしい話題に花が咲きました。

 高原病院のいい所は、スタッフ皆がお互いを良く知っていて、アットホームな雰囲気があふれていることです。これは、巨大病院にはない良さでしょう。

 

 病院を離れて約2年弱になりますが、久しぶりに病院を訪れたら、また白衣を着て外来や病棟で仕事をしてみたいなあ・・・なんていう気持ちになりました。

 

 高原病院の院長先生をはじめスタッフの皆さんは、僕にとってかけがえのない存在です。病院内の気さくで暖かい雰囲気も。

 

 今日は、第二の故郷に帰ったような気持ちになれた一日でした。

 

 同僚の先生方やスタッフの皆さん、ありがとうございました。

 

 また、皆で一緒に♪♪サンバ♪♪をやりたい!

 

 これからも、よろしゅうお頼み申しま〜す!

 

 

 

病院の向こうにでっかい富士山                           2011/1/13

 

 

 

 

 

やったぜ!!

 ついにやってくれました!!

 

 アジアサッカーの王者を決める、FIFAサッカーアジアカップ決勝戦。我が日本代表は、オーストラリアに延長の末1-0で勝ち、アジアNo.1の座を獲得しました!

 左サイドバック長友が切り込んで絶妙なセンタリングを李に・・・

李はボレーシュートをゴール右隅に決めました!それは、とてもとても美しい、これぞ、スーパーサッカー!というゴール。

 ゴールの瞬間、自然に涙があふれてきました。

 

 思えば、今回の決勝戦の舞台は、11年前、ワールドカップ出場をほとんど手中に納めながらあと一歩で逃した、因縁のドーハ(今でも「ドーハの悲劇」として語り継がれています)。そのドーハで、ドイツワールドカップで負けた相手〜オーストラリアに勝って優勝したのは、日本サッカーが強くなった証でもありますし、日本サッカーの歴史でも記念碑的な意味を持つことになるのではと思います。

 

 でも、日本は本当に強くなりました。僕が、まだJリーグが存在しなかった頃にサンバで応援していた時は、日本は全く無名の国でした。

 それが、今や、技術面だけではなく、戦術やフィジカル面、そして、何よりも精神面でも強く逞しくなりました。チームワークもすごくいい。

 

 実は、先日の準決勝の韓国戦で勝った時もすごくいい試合だったので(GK川島がスーパーセーブを何度も決めました)、ブログに喜びをぶつけたいと思いましたが、「まだ決勝がある・・・優勝してからブログに書こう!」と我慢していました。

 日本は、絶対に優勝すると信じていたのです。

 

 これで、2013年に開催されるワールドカップの前哨戦であるコンフェデレーションズカップへの出場権も手にしました。

 

 アジアでは頂点に立ちました。しかし、世界の中ではまだまだ上には上がいます。

 もっと強くなって、世界中の人々に、日本人の“サムライ魂”を見せていってほしいと思います。

 

 さっき試合が終わったのですが、心の中では♪サンバのリズム♪が今も鳴り続けています・・・(♫ ズッドー、ズッドー・・・♫)。

 

 ガンバレ、日本!!!!

 

 

追伸:しかし、ザッケローニ監督はカッコええなア。

   見た目は背が低くて可愛らしいおっさんだけど、心は強くて逞

   しい。きっと日本チームを引っ張っていってくれるでしょう。

 

 

 

 外は極寒、心は真夜中の♬サンバ ・パーテイー♬          2011/1/30

 

 

 

 

元気をいただきました!

 先日、塩尻でこころの病について講演をさせていただきました。

 

「ロマン大学」という、市民の方々の勉強会です。なんとも、素敵なネーミングですね。

 2時間という長丁場にも関わらず、約50名程の受講者の方々が、最後まで熱心に聴いてくださいました。

 

 お話ししていても、受講生の方々の一言も漏らさず聴こうという真剣な姿勢がビシバシと伝わってきます。こころの問題にとても関心を持っておられるのがよくわかり、とてもうれしかったです。

 

 講演をするとき、聴衆の方々が熱心に聴いてくださっているとわかると、話し手の僕のテンションも自然に高まり乗ってきます。

 

 先日の講演の参加者はシルバー世代の方々がほとんどだったのですが、教室の中は、受講生の皆さんの純粋で熱心な勉強意欲(知的好奇心)に溢れていて、しかも皆さんが若々しくて、とてもフレッシュな空間でした。

 

 講義の途中、「趣味や、これは大好き!というものを持っていらっしゃる方は手を上げてください」と問いかけると、ほとんど全員の方が挙手されたのには驚きました。

 いくつになっても、何事にも興味・関心を持って生きていることは、若々しくいられる秘訣なのかも知れませんね。

 

 講師の僕の方がそのエネルギーに圧倒されて、受講生の方々からたくさんのパワーを頂けた講演会でした。

 

 僕も、受講生の皆さんのように、いつまでも若々しくがんばらなくては。

 

 皆さん、本当にありがとうございました。また、いつかお会いできるとうれしいです。

 

 

 

歩道の片隅に申し訳なさそうな名残雪                     2011/2/28

 

 

 

 

東日本大震災

 3月11日14時46分、三陸沖でマグニチュード9.0という世界史上4番目の巨大地震が起きました。未曾有の大惨事です。

 

 諏訪地域でも震度4を記録し、ちょうど午後の診察が始まった頃だったのですが、2分程大きな横揺れが続き、クリニックの待合室の吊り下げ型の照明が大きく揺れました。患者さんには、慌てて外に出ないように伝え、揺れがおさまるのを待ちました。

 

 テレビで被災地の状況が徐々に判明するにつれ、想像を絶することが起こっているということが分かってきました。中継される被災地の惨状を見て、言葉が出ませんでした。このような大惨事ですから、地震が起こった時点で、ブログに何か書かなければと思ったのですが、被災された方々のことを思うと、なかなか言葉が出て来ず書けませんでした。

 

 

 かろうじて難を逃れた方もいらっしゃいますが、救援を待っていらっしゃる方や、未だに行方が分からない方も多くいらっしゃいます。また、避難された方々の環境や物資は全く不充分な状況です。

 

 震災が起こってから、「自分には何が出来るか・・・」ということを毎日考えています。現地で避難されていらっしゃる方の中には、眠れなかったり不安を抱えていらっしゃる方も多いと聞きます。おそらく、今後は抑うつ状態やPTSD(外傷後ストレス障害)の方も増えるのではないかと思います。

  一精神科医として、被災に合われた方々の心のケアをして差し上げたい・・・そう、強く思います。

 

 でも、クリニックにいらっしゃる患者さんを放っておくことはできません。

 

 クリニックにいらっしゃる患者さんの中には、御家族や御親戚、知人が東北や関東地方にいる方もいらっしゃって、今回の報道や余震でかなり精神的に不安定になっておられます。

 また、そうでなくても、度々起こる余震や地震速報、報道によって落ち着かなかったり眠れなかったりされている患者さんも多いのです。

 

 僕としては、現地には行けなくても、まず、僕のクリニックにいら

っしゃる患者さんの心のケアを一生懸命やることが大切だと思っています。

 

 

 それにしても、悲しいなと思う出来事があります。被災地ではない地域で、物の買い占めが起こっていることです。東京等の首都圏だけではなく、この諏訪地域でも似たような現象が見られます。

 そのため、この辺りのショッピングセンターでも飲料水や乾電池、カップラーメンなどはほとんどなく、品薄状態が出現しています。

 

 首都圏は被害が大きかった市町村もあり、計画停電もされているのでパニックになるのはある程度は理解できるのですが、計画停電がなく物資も充分あるこの諏訪地域で買い占めが起こるのはなぜなのでしょうか?

 

 どうも、今回の震災で「物資がなくなる」という噂(風評)が広がり、不安になって買い占めに走っている人がいるようで、それがまた物資の不足を招くという悪循環になっています。

 

 この現象は、昨年の新型インフルエンザが流行した時にどこへ行ってもマスクが品薄になってしまったことや、もっとさかのぼれば、オイルショックの際トイレットペーパーの買い占め騒動の時と同じです。

 

 一つ噂が広がると、熟慮せずに周囲の行動につられて極端な行動に走ってしまうのは、日本人の悪い癖だと思います。

 

 どうしてそんなに慌てるのでしょうか?よく考えれば、そんなに急に物資がなくなるはずがないのに。

 

 何よりも、僕たちの地域には物資が充分にあるわけですから、積極的に買い控えて、少しでも物資が不足している被災地に行き渡るように配慮しなければいけないのに。

 

 被災地の方々のことを考えるどころか、自分のことだけしか考えないこの買い占め現象は、日本人としてとても恥ずかしいことだと思います。

 

 

 

 一人でも多くの方が助かってほしい。

 

 日本中の国民が力を合わせて、被災地の方々に希望とパワーを届けられたらどんなに素敵なことでしょう。

 

 世界中から、救援隊やボランテイアの方々が来てくださっています。たくさんの応援メッセージも届いているそうです。

 

 是非、その善意に応えるために、国民一人々々が協力しなければならない。

 自分ができる範囲でいいから。

 

 

 僕も、がんばろうと思います。

 

 

 

 

 何もできない・・・だから、祈る                    2011/3/16

 

 

 

 

 

クリニックが2歳になりました

4月13日で、クリニックが開院2周年を迎えました。

 

 無事この日を迎えられたのも、患者さんやスタッフ、クリニックを支えてくださる様々な方々の応援と励ましがあったからです。

 

 本当にありがとうございます。

 

 東日本大震災で被災に合われた方々のことを思うと心の底から喜べませんが、少しでも患者さんにとって身近なクリニックであり続けたいと思っています。

 

 今年一年、よろしくお願い致します。

 

 

 

ふきのとうはどうやって春を知るのだろう?            2011/4/13

 

 

 

頭に来た!

このところ一ヶ月、ブログが書けない状態が続いておりました。

震災に合われた方々のことを思うと、筆を取る気持ちになれなかったからです。

 でも、今日はさすがに頭に来ることがあって筆を取ろうと思いました。

 

 昨日、野党3党から出た内閣不信任決議案。理由は、管首相が指導力に乏しいからということですが・・・。

 

 確かにこれまでの管首相の政局運営には、一抹の不安を感じざるを得ない場面もありました。

 でも、被災地では、今も行方不明の方が多数おられ、避難所での不自由な生活を強いられている方もたくさんおられる状況があるというのに、どうして政局を不安定にさせるようなことをやるのでしょうか?

 もし内閣不信任決議案が可決されれば、解散総選挙ということもあり得ます。そうなれば、一ヶ月以上政治が空白になります。

 

 そもそも、千年に一度の未曾有の大惨事が起こり最大危険レベルの原発問題が加わっているわけですから、震災復興という仕事は誰が舵をとっても困難を極めるものだと思います。誰がやってもそう簡単にはいかないのです。

 

 「管首相がやめれば皆がまとまってうまくいく」という野党の大義名分は、私たち国民からするととてもピントがズレていると感じます。

 むしろ、今だに自分たちのための派閥争い・党抗争をやっているとしか思えません。

 

 日本の経済は冷えきっており、雇用問題は最悪。それに加えて今回の大震災という国の危機的な状態にあるのですから、ボスを降ろせばなんとかなるというような浅はかな発想ではなく、たとえボスが頼りなくても、今こそ皆で協力し合ってボスを支え、一日も早く被災地を復興させようという発想が必要なのではないでしょうか?

 過去の歴史には、たとえトップが非力でも優秀な側近の活躍ですばらしい治世をしたケースがたくさんあります。あの、徳川綱吉の時代もそうです。

 

 

 被災地の方々は、今回のこの永田町の騒動を見て、本当に自分たちのことを考えてくれているのか?と疑問や憤りを感じていらっしゃると思います。

 

 被災地の方々の苦労や苦しみを顧みないかのような今回の政治家たちの行動に僕は強い憤りを感じますし、ほとほと呆れ返っています。世界中が日本の復興を固唾を飲んで見守っている中で、日本人としても恥ずかしいと思います。

 

 この国の政治は、なんて幼稚なんでしょう。

 

 こんな低レベルの政治で、日本の復興は本当に実現されるのでしょうか?

 

 

 

 

霧に煙るクレマチス                            2011/6/1

 

 

 

「私はこころが弱いのでしょうか?」*part 1*

   患者さんから、よくこんな質問をされます。

 

 このような質問をされた時、僕はこういう風に答えるようにしています。

 

『もともと人間は弱い動物なのではないでしょうか?強い人なんていないと思います』

 

 そもそも、僕たちは、他の動物以上に感情が豊かな生物です。感情に大きく関係している大脳皮質が、他の動物達よりも著しく発達しているからです。

 

 

 ただ、僕たちの「人生」の中で、唯一マイナスな感情がないのではないか?と思われる時期があります。それは、母親の胎内にいる10ヶ月間です。

(この頃の胎内記憶を呼び起こすことは難しいので、あくまでも非医学的な話だと思って聞いてください)

 

 おそらくこの時期は、羊水に包まれ、お母さんの声、心臓の音、呼吸音、動脈を流れる血液の音などを聴きながら、絶対的な安心感の中で過ごせる時期であり、僕たちの人生の中で、この時期ほど不安や孤独といったマイナスな感情がない時期は他にはないと思います。

 

 

 ところが、その時期を終え産道を通って外界に出た(お母さんから離れた)瞬間から、僕たちの不安、恐怖といったマイナスな感情が強烈に意識され始めるのではないかと思うのです。

 

 だから、この世に強い人は一人もいないと思うのです。

 

 つまり、不安や孤独、恐怖、落ち込み、イライラ、クヨクヨ、虚しさ、やる気のなさ、自責感といったマイナスな感情は、一人で生きていかなければならない私たちにとってとても自然な感情なのです。

 なぜなら、お母さんの胎外で生きるということはとても大変なことだからです。

 

 ですから、「心が弱い」と悩んでいらっしゃる方はあまり悩まないでほしい。人によって多少ストレスに対する抵抗力の違いはあるものの、所詮、皆ドングリの背比べだからです。

 

 人のこころは、弱いもの、傷つきやすいもの。

 

 

 でも、マイナスな感情が豊かであるということはプラスな感情も豊かであるということ。うれしい、楽しい、気持ちいい、やったア!、がんばるぞ!、まあまあかな、好き、感動した!、まっいいっか、愛してる、ありがとう etc・・・

 こういったプラスな感情も、人間は他の動物よりもたくさん持っているはずです。

 

 

 もともと持っているプラスな感情が極端に出にくくなり、マイナスな感情が出やすくなって日常生活に支障を来してしまう状態・・それが、こころの病だと思うのです。

 

 プラスな感情とマイナスな感情のバランスをどううまくとるか・・

 

 このことは、僕達の人生にとって、とても大切なテーマであると思います。

 

 

 

クリニックに元気な日々草が来ました               2011/6/26

 

 

 

 

「私はこころが弱いのでしょうか?」*part 2*

 医者っぽくない話をします。軽い気持ちで読んでください。

 

 僕たちは生まれつき、神様(という存在があったら)からプラスな感情とマイナスな感情を同じ数だけもらっているのではないかと思います。

 

 それが、その人の感受性の強さや、その時の体の状態、環境、ストレスの大きさなどによって、プラスの感情が出やすくなったりマイナスな感情が出やすくなったりしているのではないかと思うのです。

 

 ですから、こころを良い状態に保つには、自分の性格を含めた感受性の強さをよく分析し知ることが大切ですし、できるだけマイナスな感情が出ないような体調管理、環境作り、気分転換を含めたストレスコントロールなどが重要です。

 

 気分が落ち込んだり不安定になると、どうしても他の人と比べて、「自分はどうしてこんなにこころが弱いんだろう?皆は元気にがんばってるのに」と考えがちです。

 

 でも、自分だけが特別にこころが弱いわけではありません。いろいろな要因が重なって、たまたま、プラスな感情よりマイナスな感情が出やすくなっているだけなのです。

 

 僕たちはバランスで生きています。こころが疲れた時は、こころのバランスが崩れてマイナスな感情が出やすくなっているのです。

 

 お互い、その時の感情に振り回されず、冷静に自分を見つめられる目を持っていけるようになれるといいですね。

 

 

*追記*

 感受性が強いということは、繊細だということです。こころが弱いということではありません。繊細さを持っている人は、相手の立場に立って考えられたり、その場の空気を読めたり、柔らかく優しい応対をすることができます。

 それは、周りの人とうまくやっていくためには、とても大切な要素ではないでしょうか?

 

 

 

暑くてげんなり、草木は活き活き                 2011/6/26

 

 

 

 

 

 

やってくれました!

 毎日とんでもなく暑いが続いていますね。なんか、猛暑と言われた去年よりも暑い気がしませんか?

 

 連日の蒸し暑さで、僕も少々バテ気味です(涙)。体はだるくて起きづらいし、夜中に何度も目が覚めてしまいます。医者の不養生ってやつでしょうか(汗)。

 

 さて、「なでしこジャパン」、やってくれましたね!いよいよ18日は決勝戦でアメリカと対戦します。

 「なでしこジャパンって何??」とおっしゃる方に簡単に解説です。

「なでしこジャパン」=「女子サッカー日本代表」です。

 サッカーというと男子の方が歴史が長いので「女子にもプロサッカーがあったの?」と思われる方も多いのではないかと思うのですが、実は・・・あるのです。最近は女子のサッカー人口も増えて、なんとアメリカでは、女性に一番人気があってやられているスポーツがサッカーだそうです。

 

 今、ドイツで世界一を決める国同士の女子サッカーワールドカップが開催されているのですが、我が日本の「なでしこジャパン」が、ドイツを舞台に世界をアッと言わせているのです。

 準々決勝では今回のワールドカップの開催国でもあり優勝候補で3連覇をめざすドイツを延長の末1-0で撃破し、準決勝では体格が一回りも大きいスウェーデンを3-1で破り、いよいよ決勝でFIFAランキング1位のアメリカと対戦します。

 

 今回世界中を釘付けにしているのは、「なでしこジャパン」の戦術のすごさです。細かいパス回しを起点にサイドと前線が緊密に連携して得点するスタイルが、世界中の観客を魅了しているのです。男子サッカーで実力世界一と言われている「バルセロナ(通称バルサ)」というクラブチームがあるのですが、「なでしこジャパン」は、今回の大活躍で「女子のバルセロナ」と世界中のサッカーファンに言わしめているのです。

 

 先日のスウェーデン戦でも、同点ゴールを決めた川澄のゴールは細かいパス回しから左サイドへのパス→左サイドからのセンタリングを川澄が飛び込んで敵に倒されながらもボールを足に当てて決めるというゴールでした。

 サッカーは点を決めなければ勝てません。ですから常にゴールに向かうという姿勢や泥臭さが必要なのですが、「なでしこジャパン」の選手達は、まさにこのサッカーの本質を自分たちで体現していました。

 

 とかく、日本の男子サッカーでは得点力不足を課題に挙げられます。できるだけきれいに決めようとしているうちにシュートチャンスを逃してしまう場面も多々見受けられるのです。男子サッカー日本代表の試合を観ていると、もっと本能的に貪欲にゴールに向かっていってほしい!と何度もじれったく思うことが多いのですが、その男子にやってほしいことを「なでしこ」達が今やってくれているのです。

 

 最近、「草食系男子」「肉食系女子」なんて言う言葉が流行っていますが、サッカーの世界でもこの傾向があるのでしょうか??(笑)

 でも、実力は男勝りでも「なでしこジャパン」は美人ぞろいなんですよ。元東電のサッカー部マリーゼで活躍し今はボストンに移籍した左サイドバックの鮫島は、タレントになってもおかしくないくらい奇麗な方です。

 

 さて、今度決勝で当たるアメリカは実力は世界一です。世界で最多の優勝回数を誇るダントツに強いチームです。体格も大きいことは言うまでもありませんが、パワーもすごいです。本当に「この人、ホントに女性??」なんて思っちゃうような風貌の「アビー・ワンバック』というFWもいます(こんなこと言ったら怒られちゃうかな?[汗])。その人のジャンプ力の高さと言ったらとんでもないです。だれもついていけないでしょう。

 

 その超強豪に「なでしこジャパン」が挑みます。ここまで来たのですから、なでしこ達には失う物はありません。でもアメリカは違います。FIFAランキング1位というプレッシャーが当然働きます。日本はFIFAランキング4位ですから、アメリカとしては勝って当然。そのプレッシャーにつけ入って得意のパスワークと貪欲な攻撃力、そして世界ナンバーワンと言われる体力を武器に戦えば、日本にも充分勝機はあります。

 

 サッカーは何が起こるかわかりません。戦いは一発勝負です。技術力も当然ですが、最後は気力で勝敗が決するでしょう。

 

 なんとか、世界一になってほしい!不況・震災・原発問題で沈鬱なムードが漂っている日本に、彼女達は僕たちに元気をくれています。

 

 決勝戦は、日本時間で18日(月)3:50amから。起きるのつらいけど、がんばって応援しよっと。

 

 『がんばれ、日本!』

 

  (あくまでも、「なでしこジャパン」に対してのがんばれです)

 

 

*追伸*

 スウェーデン戦の時、「なでしこ」たちが「世界中の友人達へ、(震災への)ご支援・ご声援ありがとう」といった内容の大弾幕を持って胸を張っていたのを見た時は涙が出ました。

 

 

隣にいる黄金虫は夏バテしてるんだろうか                         2011/7/15

 

 

 

 

やったアアアア!!!!!!!

ついにやってくれました!!!!

 

 女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」が、世界一を決めるワールドカップで、超強豪アメリカを倒し優勝しましたアア!!金メダルです!世界の頂点に立ちました!日本人がワールドカップで世界一になるなんて、信じられないです。

 

 今、泣きながらブログを書いてます(涙)。

 

 とにかく、すごい試合でした。

 最初からアメリカが圧倒的なパワーで攻め先制点を取られましたが日本も耐えて同点に持ち込み、延長戦でも先制されましたがまた追いつき同点で延長戦終了、最後はPK戦で決着がつきました。ゴールキーパーの海掘が何度もスーパーセーブをして、優勝に貢献しました。

 それにしても、キャプテンの澤はすごい。今日のゴールも男子顔負けのスーパーゴールでした。しかも、32歳というのに、あのタフさ。

彼女の体力とあきらめない精神力、冷静さはどこから来るのでしょう。15歳から日本代表になり、ずっと‘女子サッカーをメジャーにしたい!’と女子サッカー界を引っ張ってきた人です。

 

 でも、今日の試合を観て改めて、夢を成し遂げるのは最後は強い意思とあきらめないこころの力なんだなと思いました。

 相手は世界ランク1位のアメリカです。しかも、日本は今まで一度もアメリカに勝ったことがありません。ワールドカップ直前にも二度練習試合をしていますが、それも負けています。そのアメリカに先制を許せば「やっぱ、だめだ・・・」と思ってもおかしくありません。

 しかし、2度も先制を許しながらも、決勝戦のなでしこ達はあきらめるどころか、得点されてからかえって動きが良くなり連携がとれるようになりました。それまではアメリカの攻勢から自分達のゴールを守るのに精一杯だったのに、全員が敵のゴールに向かうようになりました。そして、最後は逆転して勝ちました。それは、一人一人が窮地に陥っても最後まであきらめずに冷静に戦ったからでしょう。

 実際、澤選手は「いつもなら、『あ〜あ、入れられちゃった』と思うんですが、今日は、『まだ行ける』と思って皆に『あきらめるな!』って声をかけ続けていました」とインタビューで述べています。

 

   夜中の3 時から起きて応援して良かった。この約2時間の試合の中で

、僕は彼女達からたくさんの感動をもらいたくさんのことを教えてもらいました。

 

 ヤバい時こそ冷静になる、苦しい時こそ笑顔を絶やさない、そして、最後まであきらめない。

 そうすれば、神様は必ず夢や望みを叶えてくれる。

 

 

そして、

   女性の、強さ、美しさ(外見も心も)、たくましさ、しなやかさ 、絆・・・etc

 

   それは、人間の素晴らしさでもあります。人間って、本当に素敵な生き物なんだな!と思います。

 

 

 そんな素敵なものをいっぱい教えてくれた「なでしこジャパン」に本当にホントウに感謝です!            ☆☆ありがとう☆☆!!

 

 

*追伸*

 日本の国歌斉唱の時、胸に手を当てていた澤選手のブルーのネイルアートがかわいかったです。やっぱり女性ですね。素敵です。

 

 

 

なでしこは、しなやかで強いっ!               2011/7/18 

 

 

 

夏バテ・・・

少し、ブログを空けてしまいました(汗)。

 

台風12号が長〜く居座って、各地に甚大な被害をもたらしているようです。こんなに何日も風雨が続く台風は、今までに記憶がありません。本当に苦々しい台風ですね!

 

さて・・・

 ここのところずっと、夜中に何度も起きたり、体がだるくて疲れ易かったり、朝が起きづらかったりして体調が良くない状態が続いていました。始めは、俺もやっぱり更年期か???と思いましたが、気温が下がって来て少しずつ快復してきたことからすると、どうも夏バテのようです。お盆までは記録的な猛暑だったですからねえ。

 

 患者さんも、夏バテやお盆疲れもあってか、調子を崩されている方が多いように思います。特にお母さん方はお子さんが夏休みだったこともあり、自分の時間が持てず大変だったでしょう。

 

 お互いエネルギーが下がっている時ですから、無理しないでいきましょう。一度に全部完璧にやろうとせず、優先順位をつけていくといいですね。こういうとき、頭で考えてるとごちゃごちゃになってきますから、紙に書き出すといいでしょう。この方法は僕もよくやります。

 

 100点満点なんか取らなくても進級できるじゃないですか。同じ進級できるなら、ギリギリ60点で行きましょうや。

 

 

 

風当たりが強くてアカシアが疲れています

2011/9/4

 

 

 

 

ごめんなさい・・・

 また台風が来そうですね。今日本の近海には2つの台風があるようです。

 この間の台風12号では紀伊半島中心に大きな被害が出たばかりだったのに・・・。しかも、東北地方はまだ震災の復旧で大変な状況なのにまた台風とは(怒)。自然現象に怒っても仕方ないのですが、今の日本の状況を考えると、そっとしておいてくれ!って言いたくなります。

 

 さて、最近僕は、患者さんに「ごめんなさい...」と毎日謝っているような気がします。クリニックを受診される患者さんの数が急に増えたために、お待ち頂くことが日常的になってしまっているからです。

 

 患者さんは、調子が良い時もあれば悪い時もあります。これは当然のことです。調子が良い時は、状態や近況を聴かしていただいたり少々雑談になったりしてもそれほど時間は取りません。しかし、調子が悪い時は、自然とお話にじっくりと耳を傾ける形になります。また、付き添いの御家族や関係者の方との面談が必要な患者さんもいらっしゃいます(このような場合は、あらかじめ別予約を入れていただくようにお願いはしておりますが)。さらに、突然、緊急で受診され入院の手配をしなければいけない患者さんもいらっしゃいます。

 

 このような場合、それぞれの患者さんの状態に応じて、診察に優先順位をつけなければなりません(これを、医療の現場では「トリアージ」といいます)。つまり、患者さんの状態を診て、緊急度の大きい方から優先して診させていただくことが必要になります。

 従って、患者さんの増加に伴い、せっかく予約時間に受診していただいても、時間通りにお呼びできないことが増えてきています。

 

 よく患者さんに「先生は、毎日たくさんの方のお話を聴いていて疲れませんか?」と質問されます。僕は、患者さんのお話を聴かせてもらうことは大好きなので、それで疲れることはありません。

 

 ただ、患者さんを長時間お待たせしている時は神経を使うため胃が痛みます。でも、ほとんどの患者さんは辛抱強く待ってくださいます。それどころか、「先生も無理なされないように」「お体には気をつけてください。先生が倒れたら私たちが困るから」と優しい声をかけてくださる患者さんもいらっしゃって、そんな時は涙が出そうになります。本当に、ありがたいです・・・。

 

 患者さんはいろいろな思いでクリニックを受診されます。中には、前の晩から緊張していらっしゃる方もいるでしょう。期待と不安を抱えていらっしゃる方が多いのではないでしょうか?

 

 僕は医師になった時から今まで、『患者さんの話にどこまで耳を傾け、感じられ、何かを返していけるか?』という命題と闘ってきているような気がします。

 初診に45分かけるのも、初めてお会いする方との出会いを大切にしたいと考えるからです。この点は、医師になってからずっと変えていないスタイルです。でもそうすると一日に診察できる初診の患者さんはせいぜい2〜3人に限られてしまうため、初診まで随分長くお待たせしてしまうことになります。また、再診の患者さんについても先程のような理由から時間通りにお呼びできないことが当たり前になってしまっています。

 

 初診の患者さんは困っていらっしゃるわけですから、一刻も早く診てさしあげたい。再診の患者さんも時間通りに診てさしあげたい。

 でも、現実は、マンパワーの不足と限りある時間との闘いの毎日です。丁寧な診察と時間とは相容れないものなのだろうか?医療現場の矛盾です。

 

 たとえ10分程の短い面接であったとしても、受診して下さった患者さんが「来て良かった」と感じていただけるような診療にしたい。いつも、そう思いながら診察をしています。

 

 そのために、毎回の診察では、できるだけ一つのテーマに絞って面接するように心がけています。いくら時間をかけた面接をしても、ポイントのないだらだらとした面接では治療的ではないと思うからです。

 

 せっっくがんばって受診してくださった患者さんには、クリニックを出る時に何かおみやげを持って帰っていただきたい。そして、その『おみやげ』が次回の面接につながり、患者さんのこころの中で少しずつ熟成していっていただければどんなにいいだろうと思います。

 

 ・・・お待ち頂いている患者さん、本当にごめんなさい。

 

 でも、皆さんの

 暖かさや優しさ、繊細さ、気遣い、励まし、忍耐強さ、勇気、がんばっている姿、そして快復していくたくましさ...etc

 そのようなパワーをたくさん頂くことによって、僕も毎日がんばれています。

 

 本当に、ありがとうございます!

 

 

 こんないたらない医者ですが、これからもよろしくお願い致します

 

 

 

 

名残惜しそうに夕陽を見つめる入道雲       

2011/9/17

 

 

 

 

 

りゅう座流星群(ジャコビニ流星群)

最近、朝晩がめっきり冷えてきましたね。僕が住んでる辺りは、最低気温が4度くらいまで下がります。

 

 さて、昨日から今日にかけて『りゅう座流星群(ジャコビニ流星群)』が見られるというので、深夜に起きて空を眺めていました。外は相当寒く肝心の流れ星も見ることはできなかったのですが、夜空は雲一つなく満天の星空!子どもの頃よく行ったプラネタリウムにいるようでした。

 

 しばらく無数の星々を眺めていたら、なにか不思議な気持ちになってきました。

 今僕は地球という一つの天体から他の天体を眺めている。でも、そもそも地球が誕生しなかったら僕はここにはいない。

 

 実は、この地球は太陽と絶妙な距離関係にある。だからこそ、生命を育むのに最適な大気と温度を有している。もし地球と太陽の位置関係がほんのわずかでもずれていれば現在の地球環境は存在せず、生命の誕生もなく、僕もこうして空を眺めて夢想していなかったはずだ。

 

 まさに、地球に生命が誕生したのは極めて奇跡的なこと。その奇跡の連続によって今僕はここにいるんだ・・・と。

 

 そう考えると、自然に敬虔な気持ちになりました。

 

 僕は今、生きているのではなく、生かされているんだ。この世に生を受けたのにはきっと意味があり、役割がある...と。

 

 何万年もかかって地球にやってきた無数の星々の光を眺めながら、今無事でいられることに「ありがとう」という気持ちが溢れ出てきました。

 

 そして、その一つ一つの星々に奇跡的な誕生の歴史があるように、僕たち人間も含めて生命一つ一つにも奇跡的な歴史と存在する意味があるんだ。

 そう思うと、あらゆるものがいとおしくなりました。

 

 

 ありがとう

 

 みんなに

 

 ありがとう

 

 生かされていることに

 

 

 

 

 

星たちは、今も一生懸命輝いています              2011/10/8

 

 

 

 

 

 

 

不安について*1

先日学会に行ってきました。

 お台場で開催された「日本精神神経学会総会」です。休診になり患者さんには大変ご迷惑をおかけしましたが、最新の知見を見聞きするとともに、レインボーブリッジや東京タワーといった贅沢な夜景を眺めながらの滞在は、大いに気分転換になりました。

 

 

 さて、面接をしていると、時々患者さんに「先生、どうして不安になるのでしょうか?」といった質問を受けることがあります。

 これは難しい問題ですね。でも、僕なりにこう考えています(僕の考えはきちんとした精神病理学に基づいたものではないことを明記しておきます。あくまでも私見です)。

 <このテーマについては以前にも少し書きましたので、二番煎じのようになることをお許し下さい>

 

 人の一生の中で、一番不安や恐怖がなく安心できる時期はいつでしょうか?それは、お母さんの胎内にいる10ヶ月間ではないでしょうか?私達にはその頃の記憶はありませんが、脳にはその頃の胎内記憶が残されているようです。

 母親の胎内にいるときは、母親の声、呼吸音、心臓の鼓動、動脈を流れる血流の音などを聴き、臍帯で胎盤と繋がり、羊水に包まれ、おそらく絶対的な安心感の中で過ごせているのではないでしょうか?

 ところが、出産で母親の産道を通りこの世に生まれ出た瞬間から母親と切り離され、不安・恐怖・孤独といったマイナスな感情も生まれるのではないかと思うのです(母子分離不安〜実際は、こういった感情を「自覚」するのは2、3歳頃からと言われていますが)。

 

 しかも、人間の脳は他の動物と違い感情や認知機能を司る大脳皮質が発達しているので、喜怒哀楽が豊かです。人間は「感情の動物」と言われる所以です。ですから、マイナスな感情もプラスな感情も他の動物より感じやすく、それ故に生活や人生に精神状態が影響を与えやすいとも言えます。

 

 こういったことから、人間は誕生と共に、母親から離れる不安を自然に抱えて生きて行くことになるのではないかと思うのです。つまり、生きるというのは「不安とともに生きる」こと。生きていると常に不安や恐怖、孤独がつきまとうのではないのではないか?それが人間の自然な姿。だから僕は、「強い人なんかいない。基本的に人間は弱い動物だ」と考えています。

 

 しかも、先程お話ししたように人間の脳は大脳皮質が発達していますから、放っとけば自然にマイナスな感情が出て来てしまうのではないかと思うのです。

 フランスの思想家アランが次のような言葉を残しています。

 『悲観とは、その時の一瞬の感情の産物であるが、楽観とは、その人の意思の産物である』

 

 つまり、人は放っとけば自然にマイナスに考える習性を持っている。だから、いつもできるだけプラスに考えられるように意識していなければいけないということです。自分の感情に飲み込まれないように出来るといいなということです。しかし、これはなかなか難しいことですからトレーニングが必要です。その一つの方法が、最近注目されている認知行動療法でしょう。

 

 でも、一方では、人間が持っている豊かな感情は他の動物とは違って素晴らしい能力でもあります。だから、芸術や哲学、宗教といった文化が生まれたのでしょう。もし、マイナスな感情を感じる能力が人に備わっていなかったら、これらの文化は生まれなかったでしょう。

 ですから、僕は決してマイナスな感情がダメだと言っているのではありません。むしろ、人が悩む有り様は切なくいとおしい。だから、僕は精神科医になりたかった。

 

 僕たちは、このようにせっかく生まれつき豊かな感情を持っている動物なのですから、マイナスな感情とうまく付き合い、プラスな感情ができるだけたくさん出るように工夫していけるといいなと思います。

 

 バランスが崩れると、心も体も病気になります。プラスな感情とマイナスな感情がほぼ同じくらいバランスがとれて生きていけるといいですね。

 

 僕は、治療の中で、このようなことも考えながら患者さんに関わらせてもらっています。

 

 

 

何か恥ずかしいの?空が真っ赤だよ

2011/10/29

 

 

 

 

不安について*2

 人は出産と同時に不安や恐怖、孤独と共に生きることを余儀なくされることは先述しました。そこで、最初に出会う人(一般的には両親)の存在は大きいでしょう。

 

 特にお母さんの役割は重要です。お母さんは、おっぱいをあげたりだっこしたりといったスキンシップを通して子どもに直接的に関わる時間が長いからです。先程もお話ししたように、出産によってお母さんと離れてしまった子どもは、身体機能や言語といった知能的な部分が未発達なこともあり、お母さんと肌と肌の触れ合いを通してしかお母さんを感じることができません。スキンシップでしか不安や恐怖、孤独を癒すことができないのです。

 幼児にとって、お母さんとのスキンシップは、胎内にいるときにお母さんからもらった絶対的な安心感を再確認するための唯一の手段と言っても過言ではないでしょう。

 

 そんな訳で、幼少期の母子関係は、その後の子どもの成長に大きな影響をもたらします。子どもが5歳になる頃までにお母さんのアタッチメント(愛着、スキンシップ)が充分になされると、その子は精神的に健康に育っていきます。文部科学省の研究班も、「子どもが健康に育つためには、5歳までのアタッチメントが大切」と報告しています。

 

 この世に生まれ出て様々な不安や孤独を感じても、お母さんがスキンシップをしっかりしてくれて「大丈夫。お前はここにいていいんだよ」という無条件の愛情を注いでくれれば、子どもは不安などとうまく付き合いながら生きていく術を身につけていきます。また、大人になって困難にぶつかっても、「大丈夫!」と思って生きていけます。

 

 ところが、お母さんのアタッチメントが何らかの理由で不足している環境で育った子は、不安に対する抵抗力が弱かったり、自分がこの世に生まれて来て良かったのか?といった自己肯定感の低さが目立つようになります。

 ですから、親(特にお母さん)の役割はとても大事なのです。

ただ、子どもが健康に育つためには、必ず両親が揃っていないといけないということではありません。たとえ、お母さんやお父さんがいなくても、同じ役割を果たしてくれる存在がいれば大丈夫です。

 

 相変わらず、世の中では胎教とか幼児教育とかが流行って、最近はさらに過熱化しているようですね。胎児にはモーツアルトを聴かせるといいとか、生まれてからはリトミックがいいとか・・・。

 

 僕は、それらが全部いけないとは思いません。妊娠中に心地よい音楽を聴くのは、胎児に良いかどうかは別として、お母さんの心をリラックスさせるためにはとてもいいことでしょうし、リトミックもお子さんが楽しんでやるなら音楽を使った遊びととらえることもできるでしょう。

 

 でも、最近はインターネット等の普及もあり様々な情報が溢れていて、『本当に大切なもの』が見えにくい時代になっているような気がします。

 子どもを持つお母さん達にとって『本当に大切なもの』とは何でしょうか?胎教でしょうか?リトミックでしょうか?まだ物心ついていないような幼児にお受験をさせて評判の良い幼稚園に入園させることでしょうか?

 

僕は違うと思います。

         お母さん達にとって一番大切なこと・・・

         それは、抱きしめてあげることです。

言葉はいりません。「好き」とか「愛してる」なんて言わなくていい。ただ、黙って抱きしめてあげること。

 科学が発達していなかった古代の昔から、どの地域のどのお母さん達も自然にしてきた「抱きしめてあげる」こと・・・これをしっかりしてあげればいい。

 このシンプルな行為がとても大切なのです。

 

 子ども達にとって、お母さんに抱きしめられることはどんな素敵な言葉やおもちゃよりもうれしいプレゼントです。逆に、自分の欲しい物が望み通りに手に入ったとしても、お母さんに抱きしめられたことがなかったり少なかった子は、大人になってから精神的に様々な問題を抱えやすい傾向にあります。

 

 よく、面接をしているとお母さんから「自分がイライラしているから、子どもに悪い影響が出るんじゃないかと心配です」「夫婦仲が悪いので子どもがどう育つか...」といったような相談を受けます。

 でも、お父さんだってお母さんだって人間です。感情があるのです。親だからといって、いつも強くいられるとは限りません。時にはイライラしたり落ち込んだりもするでしょう。

 それはそれでいいんです。自分を責めなくていいんです。

 もし、そういうことで悩んだら、さっきお話ししたことを思い出してください。

           『抱きしめてあげること」

 

 イライラして子どもに当たっても、子どもの前で夫婦喧嘩をしてしまったり涙を流すことがあっても、いちいち言い訳や説明をしなくていい。優しく抱きしめてあげればいいのです。そうすれば、お母さんの体温や柔らかさで子どもは安心し、不安や恐怖や孤独は消えていくでしょう。

 

 幼少期に充分に抱きしめられスキンシップを受けた子ども達は、大人になってからけんかしたりいじめられたり叱られたりしても、「大丈夫。なんとかなるさ。自分は今はつらいけど生きてていいんだ。ここにいていいんだ。自分を必要としている人がいるから・・」と思って生きていけるのです。

 

 今のお母さんやお父さんは、発達しすぎた情報化社会の中で少し頭でっかちになっていませんか?

 

 「迷ったら原点に還れ」

 

 僕の座右の銘です。

 

 

(p.s)『抱きしめてあげる』のは、お母さんだけの役割ではありません。特に幼少期(5歳まで)はお母さんの役割が何よりも大事なのですが、もしお母さんがいない場合や、何らかの事情でそれがしてあげられない場合は、お父さんやおばあちゃん、おじいちゃん、親戚、隣近所の人達、保育園や学校の先生、保健師さん、介護者、民生委員さん etc...

が代わりにしてあげればいいのです。

 そういう意味では、今回お話しした「お母さん」というのは、「お母さん的なもの」と解釈していただいてもいいと思います。

 

 

 

 

秋雨はどうしてこんなに寂しいんだろう             2011/11/5

 

 

 

 

 

 

Bossa Nova

今日は寒かったですね。今朝起きたら、−3℃くらいまで冷えていました。さて、今日は、この寒い季節に暑い国の話です。

 

 僕は、サンバ(Samba)とボサノバ(Bossa Nova)が大好きです。

 いずれもブラジルで生まれた音楽ですが、ボサノバは、サンバにジャズの要素が加わった新しい気風を取り入れた音楽です。実際、「Bossa Nova」とは、ポルトガル語で「新しい傾向」、「新しい感覚」という意味です。

 仕事に行くときは気合いを入れるためにサンバ、仕事から帰るときは疲れを癒すためにボサノバをよく車の中で聴きます。

 

 ボサノバの創始者というと、ヴィニシウス・ヂ・モラエス、アントニオ・カルロス・ジョビン等が挙げられますが、僕はジョビンの曲が特に好きです。「イパネマの娘」「波(Wave)」等は、日本でもおなじみですね。

 アーチストも、アストラット・ジルベルト、ジョアン・ジルベルト、カルロス・リラ、ナラ・レオン、ワンダ・サー、ロベルト・メネスカル etc...たくさんいますが、特に好きなアーチストは日本人の「小野リサ」さんです。リサさんのアルバムは、ほとんど揃っています。

 

 実は、リサさんとはちょっとした御縁があります。僕がまだ美大生でサンバ漬けだった頃、「読売クラブ」というサッカーチームから応援の依頼がありました。「読売クラブ」といえば、カズやラモス等がいた名門チームで、Jリーグ発足後は「ベルデイー川崎」「東京ベルデイー」として活躍しました。その応援をサンバでやるのですが、日本在住のブラジル人だけでは人数が足りないということで、急遽、学生のサンバ仲間に声がかかったのです。その声をかけてくださった中心人物が、小野リサさんのお父様の小野敏郎さんだったのです。

 小野さんは、四谷駅の近くに「サッシ・ペレ」というサンバのライブを聴きながらブラジル料理を食せる素敵なお店(今でもあります!)を経営していて、その店は僕たちサンバ仲間の溜まり場のようになっていたので、当時からかわいがってもらっていました。リサさんは、まだデビューする前はそのお店でライブをやっていました。しかも、リサさんの元御主人で現在はパーカッショニストとして活躍している石川君は僕の芸大時代の「Samba Party」(サンバサークル)の後輩・・・。そんなわけで、リサさんもお父さんもよく知っているのです。

 

 それはさておき、リサさんの歌声は幅広い人を虜にする独特のvocalを持ってると思います。

 

 ボサノバを聴いていると、まだ昼間の暑さが残り、けだるさも感じながら、ビーチのソファーに横になって波間を赤く染めながらゆっくり沈んで行く夕陽を眺めている・・・そんなシーンを想像します。

 

 子どもの頃は、明るく輝く燦々とした朝日が大好きでした。

 でも、大人になってからは、ゆっくり沈んで行く夕陽が好きになりました。

 

 

 ボサノバには、『無理して生きなくていいよ・・』って言ってくれる優しさとゆったりとした時間の流れがあるように感じます。

 

 だから、僕はBossa Novaが大好きです。

 

 

(p.s)まだ「小野リサ」さんのアルバムを聴いたことがない方は、是

   非一度聴いてみてください。お勧めです!

 

 

 

 

ボサノバをBGMにカフェモカの香り               2011/12/16

 

 

 

 

 

今年もあとわずか

今年も、残すところあと3時間となりました。

 

 いつも、大晦日になると「この一年も早かったなア」と感じます。子どもの頃はこんな感覚はなかったのに。

 

 今年も、たくさんの患者さんのお話を聴かせていただきました。そのひとつひとつのお話に、患者さんのこころのドラマがありました。僕は、そのドラマに立ち会わせていただき、とても光栄に思うと同時に責任の重さも感じます。

 

 患者さんのお話をどこまで真摯に誠実に聴けたか?患者さんにどこまで快復していただけたか?

 この時期は、自分の診療について様々な思いがよぎります。

 

 

 一方では、今年は日本にとってとてもつらい年になりました。3.11の東日本大震災。それによる原発事故。

 あの日から9ヶ月以上たった今でも、どこか不安な感覚が残っているのは僕だけでしょうか?

 

 よく「平凡な毎日」という言葉を聞きます。どちらかというと、刺激のない毎日というマイナス的な意味合いで使われるのでしょうが、この「平凡な毎日」がいかに当たり前ではなく、いかにあっけなく崩れ去ってしまうものか・・・。3.11の災害は、その事実を僕たちに厳しく突きつけます。

 僕たちが平凡で当たり前だと思っていることが、実は決して当たり前ではないということを3.11の災害は示しています。

 

 「一期一会」「一日一生」という言葉があります。どうなるか誰にもわからない将来のことをクヨクヨ考えず、今この一瞬々々を一生懸命生きること。

 伝えたいことは伝えられる時に伝えておく。したいことはできる時にしておく。

 それが大切なんだということを、改めて思います。

 

 

 さて・・・

 今年も、様々な人にお世話になりました。

 その方々に感謝、感謝です。

 

 ありがとうございました。

 

 そして、何よりも、患者さん方に感謝します。

 僕みたいなヤブ医者に御自分の胸の内を語ってくださった。僕は、患者さん達のお話を聴かせていただくことで、僕自身が励まされ癒されていることを感じます。患者さんががんばっているのだから、僕もがんばろう!って思えます。

 だから、精神科医をやめられないのだと思います。

 

 患者さんのこころのドラマに立ち会わせていただくことに・・・

 

           ありがとうございます

 

                     来年も、よろしくお願い致します。

 

 

 

『少女時代』って、なんであんなに脚が長いんだろう      2011/12/31

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明けましておめでとうございます

本年も、どうぞよろしくお願い致します。

 

元旦は穏やかな朝でした。富士山もうっすら見えています。

 

 去年は日本にとって最悪な年だったので、今年は良い年になるといいですね。

 昨晩、新年の幕開けとともに、東京タワーがシルバーのイルミネーションで飾られていました。今年が明るい年になるようにとの願いが込められているそうです。

 今年の春には、東京スカイツリーが完成するようですね。でも、個人的には東京タワーの方が好きです。

 

 年々、クリニックを訪れる患者様の数が増えています。でも、診療の質を下げてしまってはいけません。

 今年も、昨年以上に気を引き締めていきたいと思います。

 

 皆様にとっても、良い年になりますように!

 

 

凛と立つ木々から新春の緊張が伝わってきます          2012/1/1

 

 

 

 

 

Samba(サンバ)のお話 *part 1*

さっきから、ど〜んより曇った空を眺めています。

 

 そうしたら、数年前に行ったリオ(リオデジャネイロ)の燦々とした太陽を懐かしく思い出しました。今、南半球は夏です!

 

 今日は、僕が大好きなSamba(サンバ)の話をします。

 サンバがブラジルの音楽であることは、皆さんもよくご存知ですよね。「リオのカーニバル」で有名です。そもそも、サンバのルーツはアフリカです。昔、ブラジルに連れて来られた奴隷達が、自分の故郷であるアフリカの音楽をもとに作ったのがサンバだと言われています。

 

 一口にサンバと言っても、地域によって違う様々な顔を持っています。僕たちがよく耳にするカーニバルのサンバは、リオやサンパウロの都会的に洗練されたものですが、アフリカの奴隷達が最初に到着したバイーア州のサルヴァドールという町のサンバは、カポエイラやオロドウンなどのもっと土着色が強いものですし、アマゾンの奥地にあるマナウスで行われるカーニバル〜ボイブンバ〜のサンバは、もっとおどろおどろしいサンバです。

 

 僕がサンバに出会ったのは、芸大の新入生歓迎祭のサークル紹介でした。キャンパスを歩いていると、どこからからか軽快でハッピーなリズム♬が聴こえてきます。その音の方に行ってみると、十数人の先輩達が様々な楽器を持って楽しそうに踊りながら演奏しています。それがまさに、僕が生まれて初めて聴いたサンバでした。

 

 その時の感動は今も忘れられません。セクシーで体を震わせ自然に体が動いてしまうその音の渦に呑まれながらいつの間にか踊りの輪に入っていて、一瞬の内に虜になりました。もちろん、その日のうちに入部を決めました。

 

 サンバの基本はパーカッションによるリズムです。ほとんどが打楽器でサンバのリズムを刻みます。そこにメロデイーが付く場合もありますが、僕はパーカッションだけのサンバが好きで、これをbatucada(バツカーダ)と言います。

 

 楽器はたくさんありますが、サンバの基本の2拍子のリズムを刻むのはスルドという円筒形の楽器です。直径は15インチの小さなものから24インチの大きなものまであり、肩から下げてステイックで叩いて演奏します。素材は主に牛の皮と木ですが、スキンファイバーや銅性のものもあります。「ズッ、ドー、〜、〜♪」という低音を奏でます。

 それ以外にも、タンボリン、アゴゴ(カウベル)、タンバリン、ヘコヘコ、ヘピニキ、カイシャ、ショカーリョ、クイーカ、ガンザ(シェイカー)etc...といった様々な小物楽器があり、これらが違ったリズムや音を複雑に絡ませながら一つの音楽を作っていきます。

 

 サークルに入ると、これらの楽器を一通り先輩達から教えてもらい、それから自分の好きな楽器を極めることになります。僕の大学は美術学部と音楽学部がある芸術大学で、サークルには両方の学部から入部していました。割合はちょうど半々くらいでしたが、中には打楽器科の先輩や同僚がいて、そんなの最初からセミプロみたいな人達ですから上手いのなんのって(汗)。僕は小さい頃から負けず嫌いでしたから、そいつらに追いつこうと毎日必死で練習しました。芸大の授業はあまりきっちりと出席をとらなかったし単位も作品やレポートを出すだけで取りやすかったので、授業をさぼってほとんどの時間サークル室にこもってスルドを叩いていました。先輩からよく、「いつ見ても部室に戸田がいる」と言われたものです。

 

 スルドの魅力・・・

 一言では言い表せませんが、一番の魅力はセクシーさでしょうか?スルドが奏でる重低音は、自分の本能的な部分を刺激します。スルドが刻むテンポはスローなものからアップテンポなものまでありますが、人の心臓の鼓動(心拍数:約65回〜85回)くらいのテンポが一番乗りやすく、そのテンポでリズムを刻むと自然に体が動き始めます。ブラジル人がリズム感が良いのは、お母さんのお腹の中にいる時からサンバのリズムを聴いているからでしょう。実際、リオの街を歩いていると、どこからでもサンバのリズム♪が聴こえてきます。

 

 スルドの上手な人が奏でると、「スルドが泣いている」と言われます。そのように奏でるのが上手い奏者とされています。打楽器なのになぜ泣くように聴こえるのか...?これは、言葉ではなかなか表現できません。

 

 ブラジルには「saudade(サウダージ)」という言葉があります。日本語だと、「郷愁、憧憬、思慕、切なさ」とでも表現できましょうか?実際はこれらが混ざったような意味なので適切な日本語がないのですが、ブラジル音楽ではこの「saudade」がないと音楽ではないと言われます。ですから、サンバでもボサノバでも、「saudade」を表現できるように頑張って練習するのです。

 

 さて、僕が「saudade」を表現できるまでになったか?はともかくとして、芸大の4年間はまさにサンバ漬けでした。来る日も来る日もサンバまたサンバ。何度も何度もブラジルのCDを聴いて、「どうやって叩いているんだろう?どうやったらブラジル人のような音が出せるんだろう?」と、一日中そんなことばかり考えていました。

 

 そんな時、「読売クラブ(今の東京ヴェルデイー)」というサッカーチームの応援をサンバでするというアルバイト?が舞い込んで来たりもしました。あの、カズやラモス、北澤らを擁した名門チームです。当時、サンバはマイナーな音楽で楽器を叩ける人も少なかったので、僕たち学生にも声がかかったのです。僕たちの「芸大サンバパーテイー」を含め、上智大、早稲田大、東京造形大、武蔵野美術大、多摩美術大などのサンバサークルのメンバーが集まり、国立競技場等で演奏しながら応援しました。この経験はとても力になりました。少なからずブラジル人もいましたし(フランシスという方は、今も東京のあるサンバチームのボスをやってます)、他の学生達と力を競うことで自分の腕を磨くこともできました。この頃の仲間には、現在パーカッショニストとして活躍しているヤヒロトモヒロや岡部洋一、渡辺亮などがいます。

 その内に、東京の学生だけでサンバチームを作ろう!ということになり、いわゆる「ユニオン」という学生サンバチームの創設にも加わりました。現在も、「ウニアン」という名前で後輩達が活躍しています(毎年夏の岡谷のお祭り“サンバDEナイト”に来てるサンバチームが「ウニアン」です)。「ユニオン」は、実力ではナンバーワンでした。なんたって、朝から晩まで楽器を叩けるという特権が学生にはありましたから(笑)。

 

 毎年8月の最終土曜に「浅草サンバカーニバル」が開催されます(昨年は東日本大震災のため初めて中止となりましたが)。

 全国からたくさんのサンバチームが集まり、演奏、ダンス、衣装、出し飾り、チームワーク、テーマの表現力といった様々な点で審査されて順位を決め、優勝チームには100万円の賞金にブラジル行きペア旅行券が与えられます。今では、日本で開催される最大のカーニバルとされていますが、「ユニオン」はその第一回目から連続出場している名門チームです。実力は一級ですが、衣装や山車で他のチームに劣ることが多く、何度も悔しい思いをしました。第一回目では、演奏等の技術では1位だったのに衣装等の面で差を付けられ、なんと、六本木のゲイバーのチームに優勝をさらわれました(でも、ゲイの人達はきれいだったなア)。

 また、「ユニオン」の中からバンドを作ることになり、青山のプラッサ11(オンゼ)や四谷のサッシ・ペレレ等でライブをやりました。

 

 あの頃は、親の目や浪人という拘束から放たれた開放感と全身全霊で打ち込めるサンバとの出会いで、最高に幸せな日々でした。

 

 

 皆さんも、興味がありましたら、是非一度 Samba を聴いてみてください!

             

      きっと、こころが ♬happy♬ になりますよ!!

 

 

 

空は雪雲、心はリオ                           2012/1/3

 

 

 

Sambaのお話 *part 2*

芸大を卒業してからも、サンバに対する情熱は全く変わりませんでした。

 

 社会人になると学生サンバチームを卒業することになりますが、楽器を叩くことをあきらめきれず、「バルバロス」という社会人のサンバチームに入りました。このチームは、浅草仲見世商店街が出資して結成された、「ウニアン」と並ぶ最も歴史のあるチームで、今までに最多の優勝回数を誇っています。

 老若男女を問わず、様々な人が所属しています。楽器隊と踊り子さん等総勢300人くらいいます。僕はスルド隊に所属していました。数年前に参加した時は、宿敵「ウニアン」に優勝を奪われて2位でした。

 クリニックを開院してからは忙しくて参加できていませんが、いつかまた出場をしてみたいと思っています。

 

 医学部に再入学してからも、サンバチームを作って学園祭で盛り上がりましたし、富士見高原病院時代では、薬剤師さんや理学療法士さん、看護婦さん等で作ったサンバチームで病院祭の盛り上げに一役買いました。皆、楽器なんて叩いたことがないのに、すぐにコツを覚えてかなり難しい曲を演奏しましたよ。何よりも、皆さんに楽しんでもらえたことがうれしかったです。

 

 サンバの楽器はとても単純な構造をしていますので、誰でも作ることができます。そして、ちょっと練習すれば誰でも叩けるようになります。

 空き缶に米や砂等を入れてガムテープで塞げばガンザ(シェイカー)ができてしまいます。僕は、カメラのフィルムケースに米を入れて作った‘どこでもガンザ’を持ち歩いています。それこそ、ステイックシュガーでもガンザ(シャイカー)になっちゃいますよ。

 

 パーカッションを叩いていると、頭が真っ白になり何もかも忘れられます。自分の悩みもしがらみも。

 そもそも、叩くという行為は、ストレス発散になりますよね。楽器を憎たらしい相手に見立てて叩いたり(笑)。以前、松本に住んでいた時、近くの城山公園で夜にスルドを叩いていたら、巡回中のおまわりさんに職務質問されたことがありました(汗)。

 

 パーカッションを叩いている時が、一番自分らしい自分になれる時です。

 きっと、ヨボヨボのおじいちゃんになってもスルドを叩いていると思います。

 

 Sambaは、僕のライフワークです。

 

 あと2年後の2014年には、FIFAサッカーワールドカップがブラジルのリオで開催されます。

 その時には、楽器を持って応援しに行きたい!もしかしたら、その時はクリニックを休診にさせていただくかもしれません!?

 

 よろしくウ!

 

 

 

もう3日も過ぎたのか...                          2012/1/3

 

 

 

 

 

 

犬様と氷

犬様が器を見ています。じっと。

 

 いつも喉を潤してくれる器。それが、今日は変なのです。いつもと様子が違う。恐る恐る触ってみます。いつものように柔らかくない。動きもしない。固い。爪で擦ると、シャリシャリと、やけに耳障りな音がします。

 

 何度も何度も器を傾けますが、びくともしません。固いものは固いままです。器からこぼれもせず、いつまでもひっついています。ためしに吠えてみます。彼のドスの効いた声は、巷の犬様の間ではちょっとした評判なのです。「ウオ〜、ワン、ワン、ワン!」

 ・・・でも、器はウンともスンとも言いません・・・。

 

  『な〜んかいつもと違うぞオ。ヤバいぞオ。大変だア!大変だア!!』

 

 しばらく、犬様は器を傾けては後ずさりすることを繰り返していました。

 

 ところが、10分もすると犬様は器から2m程離れた所で寝始めます。最初は気にしている様子でしたが、そのうちにお腹を上にして、さっきのことは忘れたかのようにグウグウと。

 

 毎年冬になると毎日、犬様はこんなことを繰り返しています。ちーっとも学習しません。

 

 夏は夏で大変です。雷が鳴ります。もう大変。この世は終わりか!と言わんばかりに、檻に立ち上がってしがみついて吠えています。

 でも・・・雷が去ると、さっきのことはなかったかのようにまた寝始めます。やっぱり、お腹を上にして。

 

 毎年夏になると毎日、犬様はこんなことを繰り返しています。ちーっとも学習しません。

 

 

 犬様は単純です。鈍感です。でも、シンプルです。

 イヤなことがあると一瞬困ります。でも、あとに引きずりません。こだわりません。すぐに忘れます。

 

 では、人間様はどうでしょう?

 人間様は複雑です。敏感です。あとに引きずります。結構ず〜っと。しつこく。これでもか、これでもかとこだわります。すぐに忘れません。シンプルではありません。

 それは、知能が発達していて学習するからです。いろいろなことを考えます。感じます。良い意味でも悪い意味でも。

 

 だから、人間様は苦しみます。つらくなります。予期不安が出ます。「また、ああなったらどうしよう??」と。

 眠れなくなります。食べられなくなります。イライラします。怖くなります。不安になります。お腹が痛くなったり、頭が痛くなったり、心臓がドキドキしたり、吐き気がしたり、胸が詰まるような感じがしたり、息苦しくなったり、過呼吸になったりします。憂うつにもなるし、やる気も出なくなります。楽しめなくなるし、そのうちに世をはかなんだりもします。

 でも、その不安や悩みの大半は、考え過ぎだったり考えてもどうにもならないことです。

 

 

 犬様と人間様・・・どちらが幸せなのでしょう?

 

 知能が高いと威張っている人間様の方でしょうか?。

 

 

      腹を上にして寝ている犬様・・・

 

               ・・・僕は、素直に君を尊敬します

 

 

 

 

 

 

この一面の雪がぜ〜んぶ生クリームだったら                     2012/1/5

 

 

 

 

 

ミミと鼻と風呂敷

僕が小さい頃の話です。

 

実家にはいつも猫がいました。

 もう、僕が生まれた頃からずっとです。白と黒の縞の奴です。不思議なことに、なぜか先代がいなくなるとすぐに次の奴が現れるのです。しかもおんなじ柄の奴が。ある時なんかは、先代が他界して2日程経った嵐の夜に、玄関で「ミャア」という声がしたので行ってみると、網戸の向こうに先代と生き写しの猫がちょこんと座ってこっちを見ているなんてこともありました。

 そうやってもう何代も同じ格好をした猫がいました。だから、名前はいつも「ミミ」です。仏教じゃないけど、実家の「ミミ」は輪廻転生しているのではないかと思っちゃいます。

 

 「ミミ」の鼻はいつも少し湿っています。母親はその湿り具合が気持ちがいいと言って、いつも「ミミ!」と呼んでは鼻を触ってました。

 「ミミ」にとっては迷惑な話です。抱いてもらえると思って行ってみたら大事な鼻を触られるわけですから。息ができないしくすぐったいし・・・こんな不愉快なことはありません。だから、母親が鼻を触り始めるとすぐに猛ダッシュで逃げてしまいます。その後は、できるだけ母親の手が届かない所に微妙な距離をとって、片方の前足で丁寧に顔を洗います。猫が顔を洗うと雨が降るなんて言い伝えがありますが、あんなの嘘です。だって、こういう事情で、家では毎日のように「ミミ」が顔を洗っていましたから。

 

 ところが、夜になると、昼の鼻触り事件のことは忘れてしまったかのように母親の膝に乗ってスヤスヤ寝ています。もちろん、鼻を触られれば起きてまた逃げ出すのですが。

 

 「ミミ」はからかわれ役にもなりました。僕は、よく「ミミ」に風呂敷をかぶせては驚かせました。「ミミ」はその都度猛ダッシュで逃げるのですが、でも、家出せずに夜になるとちゃあんと帰って来て僕の膝の上に乗ってスヤスヤと寝始めるのでした。

 

 

 「ミミ」にとって、鼻を触る母親や風呂敷をかぶせる僕は強烈なストレス源だったでしょう。でも、それでノイローゼにもなるわけでもなく、また膝の上に乗ってきます。何事もなかったかのように。だから憎めないのです。

 

 逃げる時は逃げるけど、甘える時は甘える。この割り切りというか何というか・・・。猫は犬よりもっと臆病で神経質だけれど、それなりに合理的にシンプルに生きています。

 僕たちだったらどうでしょう?毎日こんなストレスにさらされてたら、イライラしたり不安になったりして飼い主には寄り付かないだろうし、もしかしたら「もう家出しちゃおう」なんて考えてしまうかもしれませんね。

 

 

 ストレスから適度に距離をとりながらも、甘えたい時は甘えられる。

 そんな「ミミ」は、“距離の取り方”の達人・・・いや、達猫です。

 

 

 今も「ミミ」はいるようです。でも、最近は実家に帰っていないので、「ミミ」がどうしているかわかりません。

 

 

 

あまのじゃくな猫が好きです                                              2012/1/9

 

 

 

 

 

満3歳になりました

 

本日で、クリニックが4年目を迎えました。

 

 平成21年に開院した時は桜が満開でしたが、今年は開花が遅れているようです。

 

 ここまで無事やって来れたのは、スタッフや関係者、地域の医療機関、そして何よりも、ヤブ医者ながらも励ましてくださったり根気良く通っていただいている患者様のおかげです。

 

 患者様の数も随分増え、カルテ番号も1,500番を越えています。毎日、40名〜60名程の患者様がいらっしゃっています。

 そのために、最近は予約時間通りにお呼びできないことが多く、大変申し訳なく思っています。

 

 これから4年目に入りますが、気を引き締めて、よりいっそう診療の質を高めていきたいと思っています。

 

 今後も、今まで通りのご支援・御協力をお願い申し上げます。

 

 

 

* しばらく、ブログを更新できずにいました。ごめんなさい(汗)。

 

 

 

 

さびしいけどやわらかい春雨                             2012/4/13

 

 

 

 

 

曽我簫白

 長らくブログを更新できずにいました。

 

 ここ数ヶ月いろいろなことがあり、精神的にも肉体的にもゆとりがありませんでした。

 ブログでは、できるだけ自分の気持ちに正直に書こうと思っているので、書きたい気持ちが高まって来ないと書けないのです。更新することが目的・・・なんてことになったらおかしいですからね。だから、僕のブログは極めて気まぐれです。その辺りは、お許し下さい。

 

 さて、今、東京国立博物館では「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」という展覧会が開催されています。ボストン美術館はルーブル美術館やオルセー美術館といった世界の名だたる美術館にひけをとらない超有名な美術館で、特に日本を中心とした東洋美術の収蔵で知られています。明治維新によって江戸の世が終わり急速に西洋化が進む中、多くの美術品が日本から海外に流出しました。中には国宝級の貴重なものも含まれており、今回もそのような作品が来日しています。

 

 以前にもお話ししたかもしれませんが、今回の展覧会には僕が美大時代に研究した『曽我簫白』の代表的な作品も含まれています。門外不出の作品群なので、おそらく今後日本に来ることはないのではないかと思います。ですから、今回は何が何でも観に行こうと思っています。

 

 簫白は、享保15年(1730年)、京都の商人の家に生まれました。当時、幕府のお抱え絵師として活躍した「狩野派」で学びましたが、その型にはまった画風に飽き足らず、そこを出て、精緻かつ大胆な独自の画風を生み出し作品として残しました。

 

 生き方も型破りで、一箇所に留まらず、伊勢地方を中心に放浪しながら、飯と酒を融通してもらう代わりに絵を描くことを繰り返しました。ですから、今でも松阪辺りには彼の作品が何点か残されています。

 

 僕が彼に惹かれるのは、作品の力もさることながら、その破天荒な生き方に憧れるからです。

 人と同じような考え方・生き方をしない。自分の思うように生き、それで良しとする。常識なんてクソッ食らえ!人が白と言ったら自分は黒と言う。いちいち人の目を気にしない。

 

 そういう彼の生き方は、作品にも如実に現れています。人を食ったような構図、色使い、力強いムーブメント。精緻かつ大胆。

 このような従来の伝統的な画法に捕らわれない彼独自の描き方は、約300年たった現代の僕たちにも新鮮な感動を与えてくれます。

 

 「異端の画家」「狂気の絵師」と呼ばれた彼の作品は当時はあまり受け入れられなかったようです。そういう意味では、彼はマイナーな世界で一生を終えたわけです。

  しかし、彼はそのマイナーでアウトローな生き方を決して悲観していない。むしろ、アウトローこそがおもしろい!と思っているふしがある。僕は、そのような常識に捕らわれない彼の生き方が“かっこいい!!”と思います。

 

 そういえば、小さい頃、よく親父に「人と違った生き方をしろ」と言われました。だからかな・・・。あまのじゃくな僕のスタイルは、その頃に身に付いたのかもしれません。

 昔から、よく同僚に「戸田は医者っぽくない医者だ」と言われました。僕はそれこそ僕そのものだと思っています。何で ‘医者っぽく’ならなきゃいかんのだ? そもそも‘医者っぽい’って何??

 

 たった一回きりの人生だから、人の目を気にせず自分のスタイルを貫く・・・これは、僕の生き方のポリシー。

 何かに迷った時、必ず簫白の作品が頭に浮かぶのは、簫白先生があの世から励ましてくれているのかもしれません(笑)。

 

 

 今、東京国立博物館がある上野公園は、桜も葉桜となり新緑が美しいで季節です。芸大は上野公園の中にありましたから、あの辺りは毎日の通学路でした。懐かしいなア。よく授業をさぼって、国立西洋美術館のモネの「睡蓮」の前でボ〜っとしてたり、東京都美術館、東京国立博物館に入り浸っていたなア。芸大生にとっては天国のような場所でした。だって、観ようと思えば、毎日世界の美術品に触れられるわけですから。芸大時代は、それらの作品から強く感化されました。

 

 

 皆様も、お時間がありましたら是非、展覧会に足をお運び下さい。

 

 

 

今日も春の嵐です〜まるで簫白の絵のよう                       2012/4/22

 

 

 

 

 

行ってきました

行ってきました!

『ボストン美術館〜日本美術の至宝〜』(東京国立博物館)。

 

 ついに、念願の「簫白」との御対面です。

 簫白先生は、6つに別れた最後のブースにいらっしゃいました。全て、美大時代に観たくても観れなかった憧れの作品です。ほとんどが今回初来日の作品で、どれも簫白を代表する作品ばかりです。最初の作品が目に飛び込んで来た時は、思った通り涙が出ました。

 

 美大時代、日本美術史の講義で最初に“なんじゃこりゃあ!?”と彼の存在を知るきっかけになった「楼閣山水図屏風」、気性の激しさを知らされた「風仙図屏風」、人としての器の大きさを感じた「商山四皓図屏風」、そして、彼への憧憬を決定的にした「雲龍図」・・・。

 

 繊細かつ大胆。

 

 人を喰ったような構図と筆致による表現力、ユーモア。これでもか!と言わんばかりの自己顕示欲の強い署名と落款・・・。

 

 彼の絵からは、当時の幕府の御抱え絵師だった狩野派の穏やかな世界をあざ笑うかのような、非常識さと自由さとパワーがほとばしり出ていました。

 

 実際彼は、当時写生画で名を馳せた円山応挙をして、「画を望まば我に乞うべし、絵図を求めんとならば円山主水(応挙)よかるべし」と言ってのけています。

 つまり、「奇麗な写真のような絵を描きたいなら円山応挙の所へ行くがよい。しかし、感動する絵を学びたいなら俺の所へ来い!」と言いたかったのでしょう。

 

 僕が彼の画風に惹かれるのは、常識や人の評価に捕らわれず自分に素直に生きているその生き方が作品に現れているためです。

 

 絵が、“世間の常識なんてクソッ食らえ!人が何と言おうとクソッ食らえ!!”と叫んでいるのです。

 

 それは、僕自身が望んでいる生き方です。

 

 たった一回の人生だから、自分の好きなように生きる。

 

 なかなか難しいことかもしれませんが、今日は簫白先生から改めて、‘それでいいんだよ!’と言ってもらえたような気がして、清々しい気持ちで会場を後にしました。

 

 会場には、簫白以外にもそれはそれは素晴らしい作品がありました。それこそ、日本にあったら間違いなく国宝や重要文化財級のものばかりです。教科書の写真でしか観たことがない「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」、「吉備大臣入唐絵巻」、「法華堂根本曼荼羅図」などなど・・・。

 

 特に、快慶作「弥勒菩薩立像」は黄金で光り輝く約1m程の仏様ですが、微妙に御体がしなっていて、流れるような衣文と相まって今にも動き出しそうなリアルさにとても心惹かれましたし、宗達派の「芥子図屏風」は、はかない色彩の芥子がリズミカルに描かれていて、そのシュールで不思議な世界に引き込まれ、思わず絵の前で立ち尽くしてしまいました。

 

 信州にいて毎日多忙な生活を送っていると、なかなか芸術作品に触れる機会がありません。

 

 今日は久しぶりに、美大生時代の熱いもの〜情熱みたいなもの〜が蘇った一日になりました。

 

 まだ簫白の研究資料でまとめていないことがたくさんあります。

実は、僕が研究していた当時、簫白はまだ一部の人にしか知られていなかったため、彼についての論文も東大の辻惟雄先生のものがいくつかある程度でした。

 三重県の松阪を調査していた時、先生の文献に未確認(行方不明)とあった「達磨」の作品をある寺で見つけました。それからもう20年程経っているのでどうなっているかわかりませんが、その頃の資料をまだきちんと整理していないのです。

 是非、自分のライフワークとして、これからも簫白を追い続けて行きたいと思っています。

 

 

 簫白先生、ありがとう!!

 

 今度は、ボストンまで逢いに行きます!

 

 

 

 

後ろ髪を引かれながら上野を去る                                        2012/5/13

 

 

 

札幌、またね!

今、新千歳空港のラウンジでブログを書いています。

 

今回、札幌で「日本精神神経学会総会」が開催され、今帰りの羽田への便を待っているところです。

 目の前にはJALの飛行機が駐機しています。僕は高所恐怖症なので飛行機に乗るのは苦手ですが、観るのは大好きです。飛行機は、人類が生み出した最も美しい乗り物だと思います。ずーっと観ていても見飽きることはありませんし、エンジン音も心を揺さぶられます。

 その周りで働くたくさんの人や車を観ていてもワクワク♫します。子どもの頃から乗り物は好きでしたが、こういう部分は大人になっても変わらないものですね。飛行機を観ている時はパイロットになってる気分になり、電車に乗ってる時は運転手さんになった気分になる。いつの間にか、童心に戻っている自分がいて可笑しくなります。

 

 滑走路の向こうには、おおよそ人工建造物と思われる物が全く見えない森林が地平線まで広がっています。札幌からちょっと離れただけで、このような雄大な景色がどこにでも広がっています。

 

 こんな風景は、日本では北海道でしか観られないのではないでしょうか?

 眺めていると、自然に自分のこころが大きく広く開放されていくのを感じます。

 「Enya」♬をBGMにかけているのですが、この雄大な風景にぴったりです。

 

 北海道の冷涼な気候は信州と似ています。

でも、信州は山が迫っているので、こんな開放感はありません。北海道ならではの空気と視覚的世界です。その、頬をなでる冷たい空気は、北海道の純朴な清涼感をイメージさせます。

 たまたま乗り合わせたタクシーの運転手さんが、「本当は、僕の車のような黒い色は北海道には合わないんですよね。会社の車だから仕方ないんだけど。ここじゃあやっぱり白じゃないとね」と言っていたのを思い出しました。

 

 今回の学会では、最新の知見に触れられてとても刺激的でした。特に、多様化する『うつ』の問題については、大いに考えさせられるものがありました。日頃、片田舎で一人で診療している僕のような医者には、独りよがりな治療にならないためにも、このような刺激が時には必要です。しかも、耳学問がいい!教科書の何倍もの知識が一度に入ってきますし、そのような知識は忘れません。

 

 

 さて、あと30分程で搭乗です。そろそろ行かないと。また、あの蒸し暑くて人が多い東京に戻らなければならないと思うとちょっぴり憂鬱です。

 

 北海道の人達は、皆さんとても親切でした。タクシーの運転手さんも気さくに声をかけて札幌の魅力を話してくれましたし、夕食で入ったとんかつ屋さんのご夫婦もとても暖かいお人柄でした。

 少し、なまりがあるんですよね、札幌は。なんて言ったら良いのか表現しづらいけど、独特ののなまりがあって、それがとても柔らかくてかわいらしいのです。特に女性の方が話すと、とてもかわいらしく聴こえます。

 

 学会のプログラム終了後、旧北海道庁舎で重要文化財になっている「赤レンガ」や、「時計台(北海道大学の前身の札幌農学校の旧演武場)」を訪れ、北海道の歴史の一端にも触れることができました。

 

 食べ物もおいしかった!!

ウニやイクラ、イカ、カニを代表とする魚介類、ジンギスカン、アイスクリームetc...

 皆、絶品でした☆☆☆☆

 

 とても短い期間だったけど、北海道の魅力に引きつけられた4日間でした。

 

 

 最後に一言!

 

 ここに住みたい!!

 

 

 

 

新緑に萌える原生林...果てしなく                         2012/5/27

 

 

 

 

 

 

 

ご無沙汰してます

またまた、ご無沙汰してしまいました(汗)。

 

 ここの所、ジメジメしてすっきりしない天気のせいか、起きたくない毎日が続いています。朝起きてから出勤するまでがしんどい。決して、仕事が嫌なのではありません。むしろ、仕事は大好きで自分の天職と思っているくらい。でも、起きたくないのです。

 

 皆さんは如何ですか?そういうこと、ありませんか?

 

 ここ1年の間に、頸椎症のため、右腕がしびれひどい肩こりに悩まされています。整形外科のドクターには「毎日座って仕事しているからでしょう」と職業病的な指摘をされました。それに加え、以前から過敏性腸症候群があります。これはもう長い付き合いで、中学校の頃からありました。緊張するとお腹がゴロゴロいって張ってくるのです。中・高生の頃は、テスト中にお腹が張ってくるので、問題を解くことよりもトイレを我慢することばかり考えていました(笑)。それでもそんなに生活には支障なかったのですが、大人になり仕事を始め、特に開業してから症状がひどくなりました。別にメタボではないのにお腹が膨らんでいるのは恥ずかしいものです。お腹にガスがたまり(変な話でスミマセン)、その圧力で胃が押し上げられ食道裂孔ヘルニアになっているため胃酸が逆流しやすい状態があり、逆流性食道炎も合併しています。だから、時々胸やけがあります。

 

 これらは、運動不足とストレスから来るものなのでしょう。患者さんには、「適度な運動と気分転換をしてくださいね」と偉そうなことを言っているのに自分がちゃんとできていないのは、医者の不養生以外の何ものでもないですね。

 

 最近、「ラジオ体操」が注目されているようですね。整形外科のドクターに言わせると、あの体操は全ての筋肉を一回は動かすようにできているそうです。小学校の頃、配られるジュース欲しさに眠たい目をこすって参加したあのラジオ体操がそんなに優れたものだったとは知りませんでした。

 

 これなら天気が悪くても家の中でできるし、めんどくさがり屋の僕でも続けられそうなので、さっそくやってみようと思います。

 

 

 

梅雨空、夕暮れ、ひぐらしの声                                      2012/7/16

 

 

 

 

 

 

 

般若心経

唐突ですが・・・・最近こころの中で様々な迷いを感じています。

 

 生きるということは、決して楽ではないし、つらいことの方が多いような気がします。

 

 悲しさ、寂しさ、不安、イライラ、落ち込み、怒りetc...

こういった負の感情は誰でも毎日経験するものですが、このような感情に支配されてしまうと、とてもつらいですね。

 

 

 なんとか、このような感情と上手く付き合って行けないか?という疑問から、『般若心経』という一冊の本に出会いました。

 以前から何度も読み返しているのですが、なかなか難しくて未だに全部を理解できません。もともと両親はクリスチャンで、仏教とは縁遠い環境で育ちました。物心つく前から親と教会学校に通い、聖書の様々なお話は自然に頭に入っていました。

 でも、なぜか今は、このお経を読んでいるととても心地よいのです。

 

 お経の中に『色即是空、空即是色』という言葉が出てきます。

「色」とは、この世の全ての現象を指します。「空」とは実体がないこと。

 つまり、

 

・・・「私たちが知覚するあらゆる現象は、固定的実体がない。しかし、それだから(固定的実体がないから)こそ‘縁’が生まれ、あらゆることが現象となって現れてくる」・・・

 

という意味です。

 

 今、目の前に青い布があります。これが僕の目に「青い布」と認識できるのは、光の3原色(赤・青・緑)である赤系と緑系の周波数の光が布に吸収され青系の周波数を持つ光が反射され、僕の目の網膜細胞で化学エネルギーに変わり、更に電気エネルギーに変換されて大脳皮質の視覚野に届いて青と認識され、更に「布」という経験上の認識から「青い布」と理解するからです。

 

 でも、もしここにモンシロチョウがいたらどう見えるでしょう?モンシロチョウは黄色に強く反応します。しかも、布を使った経験はありません。ですから、モンシロチョウには何も見えないのです。

 僕の感じ方とモンシロチョウの感じ方、どちらが正しいのでしょうか? 

 どちらも正解ですよね。

 

 つまり、僕には「青い布」があるのに、モンシロチョウにはない。

 

         ・・・『あるのにない。ないのにある』・・・

 

このパラドックスが同時に存在する概念が『色即是空、空即是色』です。

 

 「青い布」と言っているのは、あくまでも僕だけであって、モンシロチョウからすれば、そんなものはこの世には存在しない。「ある」と思っているのは僕だけ。僕が勝手に「ある」と思っているだけ・・・。

 

 僕たちが感じたり定義したりしていることが、いかに身勝手で曖昧なものか?・・・般若心経はそれを教えてくれます。

 

  17 世紀に活躍したフランスのデカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言いましたが、この言葉は、我々の周りの事象が極めて曖昧なものであることを言い当てているのではないでしょうか?

 

 そうすると、僕たちが感じる、不安、寂しい、怖い、ムカつく、落ち込むetc...といったこころの感じ方も、極めて身勝手で曖昧なものかもしれませんね。

 

 般若心経では、‘あらゆる現象は、生じたり滅したりしないし、垢がついたり浄らかであったりもしないし、増えたり減ったりもしない’と説かれています。

 

 ‘ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例しなし’

  という鎌倉時代に活躍した鴨長明の「方丈記」の冒頭が思い浮かびます。

 

 平家物語でいうと、“諸行無常”という言葉が当てはまるでしょうか・・・。

 

 

 

 般若心経のこのような概念で物事の事象を考えると、自分のこころの状態が少しラクになってくるのを感じます。

 

 今は不安だけれども、これは一時的な現象であって、いずれはどこかへ消え去るのです。夜であっても必ず朝が来るように。だから、「ああア、今俺は不安なんだなア」とその不安を味わってやれば良いのです。

 

 茶道でいう、「わび、さび」は、この負(陰)の要素を肯定的に捉え、文化の領域にまで昇華させた日本人が世界に誇れる文化ではないでしょうか。

 

 般若心経は奥が深いです。とても僕のような貧弱な頭脳ではなかなかすっきりとは理解できません。でも、もっともっと奥を覗いてみたいと思います。

 

 

☆ 僕は、決して特定の宗教や哲学を信じているわけではありません。どんな宗教や哲学にも真理が含まれていると思います。

 僕は、各宗教や哲学を超えて、自分にフィットする考え方は柔軟に取り入れていこうと思っています。

 

 

 

あっという間の2連休                                       2012/7/16  

 

 

 

 

 

 

患者さんとの時間

こんにちは。

 

 またまた、ブログの更新をできず、もう2ヶ月も経ってしまいました(汗)。

 

 夏バテもあったりいろいろで、なかなか書こうという気持ちになれませんでした。

 でも、少しでも気になることや気づいたこと、うれしかったこと等をもっと素直に書けばいいんだと考えるようになってきました。

 

 依然、さまざまな迷いや不安の中での毎日です。

 だから、よく、患者さんを癒し治療しなければならない僕がこのような状態で良いのか?と自問自答もします。

 でも、もし僕が不安も苦しさも迷いもない仙人のような存在であったら、患者さんの真のつらさや苦しさを理解し共感できるのだろうか?とも思います。

 医師も患者さんと同じ人間です。感情もあるし生きるつらさも抱えています。ローンだってあります(笑)。だからこそ、患者さんのつらさや苦しさを理解し共感できるのではないか?と思います。

 

 だから、僕は敢えて医者らしくしたくありません。診察室で白衣を着ないのもそういう理由です。できるだけ患者さんと対等な関係でいたい。患者さんと同じ目線でお話を聴きたい。いつも、そう思って診療に臨んでいます。

 

 患者さんのお話を聴かせていただく時間は、本当にうれしく楽しいひとときです。そのお話の内容がどのようなものであろうと、患者さんにとっては人生の一部ですし大事なライフイベントなのです。それを聴かせていただくなんて、こんな幸せなことはありません。

 

 患者さんのお話には、それぞれ人生のドラマがあります。僕は、そのドラマを聴かせていただき、ほんの少しだけ患者さんの時間に寄り添わせていただく。僕がして差し上げられることはほとんど何もありません。でも、患者さんのつらさを割り勘・・・そこまでいかなくてもほんの一部を一緒に担わせていただく・・・それが、僕の喜びです。

 

 僕自身がどんなに疲れていたりつらくても、患者さんとお話しして様々な問題について一緒に考えていると、いつの間にか自分のこころも満たされていき素直になっていくのを感じることがよくあります。患者さんが、診察を終えて良い表情でお帰りになる時は特にそう感じます。

 

 治療というのは、まさに僕と患者さんの相互作用で進んで行くもの。一方通行では、良い出口は見つかりません。

 

 僕自身も、患者さんからたくさんの喜びや励ましを頂いているんだと思います。

 

 いつも、患者さんには感謝、感謝です。

 

 

(P.S)

最近『10cc』にはまっています。1970年代から80年代に活躍したブリテイッシュ・ロックのバンドですが、その中でも「I am not in love」という曲が大好きです。とっても透明感のある曲です。CMや番組のタイトルナンバーとしてもよく使われているので聴いたことがある方は多いと思います。もしまだ聴いたことがない方は、是非一度聴いてみてください。

 

 

 

コオロギの音はどうしてあんなに哀しいのかな                          2012/9/10

 

 

 

 

 

 

むつかしい・・・

治療というのは難しい・・・

 

時々そう思います。

 

 特に、患者さんがどうしても乗り越えなければならない問題にぶつかっていらっしゃる時は、そのつらさを受け入れ共感しながらも、叱咤激励しなければならない場合があります。厳しいことも言わなければならない時もあります。そんな時は、特に難しい。

 

 「愛の鞭」と言ったら大げさですが、僕自身はそれくらい真剣に患者さんに向き合い叱咤激励するのですが、患者さんの中にはその僕のアプローチの仕方を「批判された」「叱られた」とマイナスに受け取る方もいらっしゃるようです。

 

 そもそも、叱るというのは、相手の成長を願って叱咤することです。でも、最近の特に若い世代の方は叱られることに慣れていないせいか、『叱られた=自分を否定された』と受け取る傾向があるようです。ですから、叱られただけで相手を批判したり、会社に行けなくなったり辞職してしまったりすることが増えていて社会問題にもなっています。いわゆる「新型うつ」もそのような背景から出て来た社会用語でしょう。

 

 昔は、「叱られる=ありがたいこと』という考え方が当たり前でした。なぜなら、叱られるということはまだ自分の存在が認められているということであり、自分の成長を願って真剣に向き合ってくれる行為だと理解していたからです。

 

 しかし、最近の若い世代は、幼少期からあまり叱られた経験がなく大人になっていくと言われています。そこには、少子化、核家族化、ゲーム世代といった社会背景があります。親にも、親戚にも、先生にも叱られずに育ち、他人ともあまりもまれず大人になっていく。

 そうすると、組織に入った時に対人的にストレスを抱え仕事や生活に支障が出てしまう。乗り越えるノウハウを持ち合わせていないのでやっていけなくなる。「新型うつ」といわれる人達は、他人のせいにする特徴も持っていますが、それは自分の問題処理能力が不足していることを認識していないからです。

 

 昔に比べ、『精神力=心の抵抗力、免疫力』が弱くなっているのではないか?と感じます。

 その原因の一つとして、人と人との関係・絆が薄くなっていることがあるのではないでしょうか?

 

 個人主義が尊ばれ、現代人は群れることを嫌います。干渉されることを忌避します。そうすると、必然的に対人スキルを磨き鍛えるチャンスが不足し、対人トラブルが生じてもそれを自分で対処していく経験が乏しくなります。また、相手の立場に立って物事を考えたり、相手の想いを汲み取ったりする能力も乏しくなってしまうのです。

 

 強靭な肉体を作るためにはハードなウェイトトレーニングが必要ですね。それと同じように、たくましい心を作るためには、つらい経験をたくさんし、時には人と衝突しそれを乗り越えるトレーニングが不可欠なのです。

 

 でも、子どもの頃からそういう心のトレーニングをせず楽な選択ばかりをするような生き方をしてしまうと、大人になってからとても苦労するでしょう。

 

 僕は、そんなことを考えながら毎日患者さんと向き合い、時には(しょっちゅうではありません[笑])叱咤激励させていただいています。

 

 

 

 

 

僕は真正面からぶつかります

なぜなら、人が大好きだから                                            2012/9/12

 

 

 

 

医師とは・・・?

 

以前から、「医師とは何か?」とよく考えています。

 

最近、自分自身が迷うことが多いので特にそう考えるのかもしれません。

 

「こんな迷って生きている自分が、患者さんを治療していいのだろうか?」

時々、そういう疑問が頭をよぎります。

 

 医師として、患者さんにどれだけのことをして差し上げられるのだろう?僕は毎日、患者さんのこころをどれだけ軽くしてあげられているんだろう?

 

 今まで良くなっていかれた患者さんを思い返してみると、僕自身が「治した」と言える患者さんがどれだけいるか疑問です。恋人ができたり、仕事ややりがいを見つけて元気になって行った方なんかも多い。そういった患者さん達は、僕が「治した」なんて偉そうな言い方はとてもできない。皆、最後は患者さんや周囲の人の力で治っていったんだと思う。

 

 じゃあ、僕は毎日何をしているんだろう?何をしなければならないんだろう?

 たしかに、薬や面接等の技術は普通の人よりは持ち合わせているかもしれない。先輩方に比べればまだまだだが、多少の臨床経験もある。

 

 でも、患者さんが差し迫った状態の時は、それらのほとんどが役に立たないといって良い。その場しのぎの言葉や薬は、患者さんのこころには響かない。

 

 まだ、自分自身が医師として未熟だと感じる。心から感じる。だから、「先生」と呼ばれると今でも戸惑う。今の僕は、まだまだ発展途上なんだ。僕は医師として現役の医師より10年遅れているから、「一人前」と患者さんから評価されるにはこのままだと一生かかりそうだ。

 

 こんな自分だけど、クリニックに来てくださる患者さんにして差し上げられること・・・。

 

 今の自分には、「寄り添う」という言葉しか思いつかない。たとえすぐに症状が改善しなくても、問題が解決しなくても、黙って「寄り添わせていただく」。それしかない。

 その方の人生のほんの一瞬でも、一緒にいさせていただく。その方が、自分で歩き始めるまで。それが数週間なのか数ヶ月なのか数年なのか一生なのかわからない。でも、僕が関わらせていただいている間は、そういう覚悟でいる。もし患者さんもそれで良ければ。

 

 僕は、絶対患者さんを見捨てない。あきらめない。そういう気持ちというか情熱は、どの医者にも負けないという気持ちでいる。また、そう考えることで、今の僕は「医師としての」自分をかろうじて保っている。

 

 患者さんは、皆いとおしい。患者さんから聴かせていただく生き様は、僕にとっても大切で、いじらしくていとおしい経験。

 

 

また明日から、新しい経験との出会いが始まる。

 

 

 

 

雨と秋草の匂い                                         2012/9/23

 

 

 

 

 

『嵐』とニーチェ

最近、ニーチェを読んでいます。

たいてい、『嵐』のノリの良い曲を聴きながら読むのが僕のスタイルです。このコラボが、なかなかいいのです。

 

 ニーチェはご存知の方が多いと思います。19世紀後半に活躍したドイツの哲学者で、「ツアラトウストラはかく語りき」「悲劇の誕生」等の代表作はその後の20世紀哲学に多大な影響を与えました。

 

 『人間的な、あまりに人間的な』という著書の一説に‘なるほど!’と感じた言葉を見つけました。少し長いですが引用します。

 

 

『誰だって、他人から自分がどう思われているか知りたいものだ。良く思われていたいし、少しは立派だと思われたいものだし、大切な人間の部類に入れてほしいものだ。だからといって、自分への評価を気にするばかりに、聞き耳を立てるのは良くない。

 なぜなら、人間というのは間違った評価をされるのが普通のことだからだ。自分が思うように、自分が望むように評価してくれることなんかほとんどない。そういうのとは全然違う評価をされてるのがまったく普通だからだ。

 だから、腹を立てないためには、自分の評判や評価などを気にしてはいけない。他人がどう思っているかなんてことに関心を向けては絶対にいけない。そうでないと、本当は嫌われているのに、部長だの社長だの先生だのと呼ばれることに一種の快感や安心を覚えるような人間になってしまう』

 

 最後の一行はシニカルですが(笑)、的を得た言葉ではないでしょうか?

 

 もともとサンバをやっていた関係で踊れるようなノリが良い曲は大好きです。Michael Jackson、EARTH WIND & FIRE、Lady GaGa、ジャニーズ系、AKB、少女時代、EXILE  etc...何でも聴きます。気合いを入れたい時は、車の中でガンガンに大音量にして出勤します。

 

 ニーチェは、様々な示唆に富んだ考え方を示してくれるので、今マイブームになってます。

 

 

   台風17号がこちらに向かっています。今日の夕方から夜にかけて本州を縦断するようです。別の『嵐』が到来しそうです(汗)。

 

 

 

『嵐』とコオロギとニーチェ                                    2012/9/30

 

 

 

 

 

 

 

また皆さんにお会いできました

 今日は、諏訪市民生児童委員協議会に招かれて、『こころの病の理解と対応〜傾聴と共感を中心に〜』というタイトルで講演をしてきました。

 

 約100名程の方が、貴重な時間にも関わらず参加してくださり、2時間の長丁場の講演でしたが、最後まで熱心に聴いてくださいました。参加されている方は、日頃から地域の方々の相談役になる機会が多いためかとても勉強意欲があり、最後までうたた寝をされる方は一人もいらっしゃいませんでした(笑)。

 

 僕が精神科医として研鑽を積んでいた時は、まだ心の病気が特別なものという雰囲気があり精神科の敷居も高かったと思います。ところが、ここ数年で状況は一変しました。僕のクリニックには一日50人前後の患者さんがいらっしゃってますが、今や精神科はごく普通の科になった印象があります。

 

 もちろん、うつ病や統合失調症、パニック障害、気分変調症など精神疾患と診断する患者さんもいらっしゃいますが、中には、夫婦関係の問題、嫁姑の問題、会社の上司との問題、仕事の適性の問題、子供の養育の問題、進路の問題etc... といった身近なテーマでご相談にいらっしゃる方も最近は多いです。普段は主婦をやられていたり、お勤めされていたり、地区の役やボランテイアをやられていたりと様々です。

 

 僕たちは、生きてると人生の壁にぶつかることがあります。そんなとき、誰かに悩みを聴いてもらうだけでも心が軽くなることが多いのです。そのような方のお話を聴かせていただくことも、精神科医である私の大事な仕事だと思っています。

 また、このようなご相談で精神科に来ていただくということは、心の問題が多くの方々に周知されて来たということでしょうし、精神科の敷居が低くなった〜身近になった〜ということでしょう。

 

 ‘精神科をごく普通の科にしたい!’という気持ちで精神科医になった僕としては、とてもうれしい限りです。

 

 昨年の7月に、厚生労働省は従来の4大疾病(がん、糖尿病、心筋梗塞、脳卒中)にうつ病や認知症等の精神疾患を加え「5大疾病」とすると発表しました。国が、こころの病を重要な疾患として認めたということです。WHO(世界保健機関)も、2020年には、「人間の寿命に大きな影響を与える疾患」として、うつ病が虚血性心疾患についで第2位に来ると予想しています。それくらい、精神疾患が世界的に増えているということです。

 ですから、これからは精神疾患を偏見の目で見たり理解しようとしない態度は時代遅れだと言ってもいいでしょう。

 

 今や、精神科はメジャーの科になったといっても過言ではないでしょう。

 でも、考えてみれば当たり前のことなのです。心と体でできている僕たちは、体がバランスを崩すと同じように心もバランスを崩すのは自然なことなのです。心の病気になるということは、何も特別なことではないし恥ずかしいことではないのです。

 むしろ、心の病気になる方は皆、真面目でがんばり屋さんで繊細で優しい人ばかりです。

 

 だから、昔からこんなことわざがありますね。「憎まれっ子世にはばかる(人に憎まれるような図々しい人は、病気にならず長生きする)」

 

 今日は、たくさんの諏訪の方々と同じ時間を共有できました。とても幸せな時間でした。だから、僕は講演を頼まれると断れないのです。この素敵な時間がとても気持ちいいから。新しい出会いがあるから。

 

 今日は、僕のつたない話にお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。

 

 

 

みなさんにお会いできて良かった                      2012/10/4

 

 

 

 

 

 

 

マンガ

最近、おもしろいアニメを見つけました。

『Golden Eggs』というアニメです。You Tubeで観られます。いろいろなシリーズがあるのですが、その中で、「レベッカの宿題」が僕は好きです。

 

 子供の頃から、マンガは大好きでした。小学生の頃は、自分で描いたマンガを製本して、皆で回し読みをしたりしてました。「少年ジャンプ」「少年マガジン」「少年サンデー」といった雑誌は毎号読んでましたし(当時は、本屋で立ち読みしてもお店の御主人は大目にみてくれました)、妹が買った少女マンガもよく読んでいました。

 大人になってからはシュールなマンガが好きで、吉田戦車の『伝染るんです』や中川いさみの『クマのプー太郎』は今でも時々読み返しています。学生時代に、病気で入院した友人に元気になってもらおうとこれらのマンガを数冊貸したことがありましたが、「意味がわからなかった」と返されたことがありました。あまりにもシュール過ぎたようです(笑)。

 

 笑えるツボというのは、人それぞれ違うものですね(笑)。

 

 

 

少し元気になってきたかな                           2012/10/6

 

 

 

 

 

世界怪奇物語

 子供の頃、何度も読んだ本です。手に汗を握って、ワクワクドキドキ。僕は変な子供で、不思議なことや怖い話が大好きでした。書棚には「世界七不思議」「空飛ぶ円盤」「バミューダ魔の三角地帯」「心霊写真集」「心霊スポット百選」「妖怪百物語」「ピラミッドの謎」etc... などが並んでいて、遊びに来たダチは「戸田は変な奴だ」と言いながらも食い入るように読んでました(笑)。どうも、怖い本は親に止められている奴が多かったようです。そういう点、うちの親はそういうことは制限しませんでした。

 

 「怖いもの見たさ」ということでしょう。自分が理解できないことや不思議なこと、謎めいたこと、知らないことを知りたいという欲求は人一倍強かったと思います。それは今でも変わりません。

 映画でも、ホラーやサイコサスペンスは好きでよく観ます。

 

 

 小さい頃から、人の心にはとても興味がありました。‘今あの子はどんなこと考えているんだろう?’と、クラスメートの様子を見てはよく想像力を膨らませていました。転校生の子がまだクラスに慣れなくて独りでポツンと隅の方で座ってると、どんなん気持ちでいるんだろう?と考えてその子を放っておけませんでした。つい、声を掛けに行ったものです。思春期の頃からは、自分の内面のモヤモヤを親も含めて他人に表現することが苦手だったし、しにくい雰囲気が有りましたので、絵を描くことで紛らわせていました。その頃の僕にとっては、絵が唯一の自己表現だったのです。

 

 

 人の感情に陽と陰があるとすれば、特に陰の方に興味があります。落ち込み、不安、哀しみ、イライラ、怒り、妬み、恨み、自責、投げやり、あきらめ、甘え、強がり、恐怖etc...

 こういった陰の感情は一般的にはマイナスにとらえられますが、僕は逆に魅力に感じます。他の動物達と異なり、人を人足らしめるのは陽の感情より陰の感情なのではないかと思うからです。

 陰の感情は人の弱さでもありますが、そこに人間臭さというか人間の本質を感じるのです。陰の感情があるから、芸術や哲学、宗教が生まれたのでしょう。

 

 

 芸大にいた頃自画像の課題を出された時、僕が描いた作品だけ「戸田の絵は怖い」と言われました。自分の中にあるドロドロしたものが出てしまっていたのでしょうか(笑)?

 デッサンの授業で女性のヌードの課題が与えられた時は、背後から描きました。別に恥ずかしかったからではありません(最初は正視できませんでしたが)。そのモデルさんを見た時、肩から背骨の辺りに憂鬱と悲哀を感じたからです。それを表現するには顔の表情はない方が良かった。

 

 僕もそうだけど、人間って弱い動物だと思います。強そうに見えてもそれは強がってるだけ。

 だからこそ、人に宿る陰のこころは他の動物達とは違って人間そのもの。だから、魅力的で切なくいとおしい。

 

 今は亡き遠藤周作の代表作に『沈黙』という小説があります。主人公は隠れキリシタンなのですが、神を型どった板を踏むよう命じられます。いわゆる「踏み絵」です。

 踏まなければ死刑です。でも踏めば生き延びられる。どちらを選択するか。あなただったらどちらを選びますか?

 結局、主人公は踏んで生き残る道を選びますが、その後ひどい自責の念に苛まれます。でも、結局は神はそれを許すというお話です。

 遠藤周作は自分自身が敬虔なカトリックの信者です。この小説を世に出した時、国内の信者から非難が殺到したそうです。でも、彼はあえて人間の弱さに焦点を当て、それこそ人間の本質だと訴えたかったのではないかと思います。

 

 生きていると、きれいごとだけでは済まないことがあります。どうしても弱いから、自分のドロドロとした陰の部分と向き合わなければならない時がある。だからこそ、そういうところを見て見ぬふりをするのではなくきちんと受け入れ、時には許してあげられたらいいと思うのです。

 

 精神科医になろうと思ったのも、子供の頃から世の中の陰の部分(・・・それは人のこころの陰の部分なのかもしれませんが)に惹かれるからかもしれません。

 

 

 

太陽より月の光が好きです                          2012/10/8

 

 

 

 

 

ひとりぼっちさんへの手紙

 

こんにちは ひとりぼっちさん

 

いまあなたは

こどくで さびしくて 

だれも じぶんのことをわかってくれない

イライラとぜつぼうかん やりきれないきもちで

いっぱいなのではないですか?

じぶんがいきているいみすら わからなくなっているのかもしれません

 

 でも ちょっとおしえてくださいな

 

どうして そんなにおちこんでいるの?

どうして そんなにじぶんをせめているの?

どうして そんなにイライラしているの?

どうして いきるかちがないとおもっているの?

 

 

だれかが あなたをしかったりせめたりしたから?

しごとで ミスをしたから?

なにか おもいどおりにいかなかったから?

 

 それとも・・・

 

なんのりゆうもなく?

 

 りゆう・・・

 

それは いまのあなたにとっては たいせつなことではないですね

 

たいせつなのは いまあなたがつらいこと

たいせつなのは いまあなたがくるしいこと

たいせつなのは いまあなたがじぶんにじしんがないこと

たいせつなのは いまあなたがじぶんをうけいれられないこと

たいせつなのは いまあなたがかなしくてなみだがとまらないこと

たいせつなのは いまあなたがうごけないこと

たいせつなのは いまあなたがどうしたらいいかわからないこと

 

 

ひとは かってなことをいいますね

えらそうに

あなたのことを さもわかったように

 

ほんとうは ぜんぜんわかってないのに

 

ひとは かってなみかたで あなたをひょうかしますね

えらそうに

じょうしきやせけんという わけのわからないものさしをだしてきて

 

ほんとうは そのものさしがどれほどあいまいで

ほんとうは そのものさしがどれほどいいかげんで

 

そんなことうたがいもせず あなたにあわないものさしで あなたをはかろうとする

 

そういうひとほど たにんのひょうかをきにするひと

そういうひとほど きのちいさいひと

そういうひとほど プライドがたかいひと

そういうひとほど あなたにやつあたりしているひと

そういうひとほど ひとのたちばにたってかんがえられないひと

 

そういうひとほど うつわのちいさいひと

 

 

もし いますこし あなたにゆとりがあるなら

そういうひとが あなたにいったことばやとったたいどが

どれだけ ただしいか?

どれだけ あなたのきもちをわかってくれているか?

どれだけ あなたのこころにスッとはいってくるか?

 

かんがえてみてください

 

そういうひとはきっと

あなたのことをわからないで ものをいっている

じぶんのふあんをごまかすために あなたをせめている

 

それがよくわかるでしょう

 

あなたはいま くるしくてつらいですね じぶんをせめてますね?

でも おもいだしてみてください

 

いままであなたが

どれだけまいにち いまのじぶんではだめだとおもってきたか?

どれだけまいにち ほかのひととくらべておちこんできたか?

どれだけまいにち ゆううつなきぶんとたたかってきたか?

どれだけまいにち すこしでもかえようとおもってきたか?

 

それはみな あなたがまいにち せいじつにいきてきたあかし

そして

このしゅんかんも あなたはせいじつにいきています

 

なぜなら

こんなに つらいから

こんなに くるしんでるから

こんなに じぶんをせめているから

 

 

 

だから いいんだよ

いまのあなたで

 

あなたは ものごとをいいかげんにかんがえないひと

あなたは せきにんかんがつよいひと

あなたは せいじつにいきるひと

あなたは じぶんをせめやすいひと

あなたは ひとにきをつかうやさしいこころをもっているひと

 

ようりょうはよくないかもしれない

きようじゃないかもしれない

ひとづきあいはうまくないかもしれない

じぶんがダメだとおもいやすいかもしれない

 

でも

 

せんさいさと

やさしさと

おくゆかしさと

ゆたかなかんせいと

じょうねつを

もっている

 

そんなあなたは とてもにんげんらしくて すてきです

 

そんな あなたのみりょくもわからず

あなたの ゆったりとしたいきかたをだいじにしようとせず

じぶんのものさしをおしつけてものをいうひとは

ちゃんちゃらおかしい!!

 

わらってやりましょう!

そういう えらそうなことをいうひとを

 

「あんたこそ

ひとの よいところをみようとしないで

わたしが どれだけがんばっていきてるかをしろうともしないで

えらそうなこといって

そんなあんたは なんてうつわがちいさいんだ!」

 

って 

いってやりましょう

 

 

あなたのものさしは あなたしかもっていない

 

あなたのものさしは あなたしかつかえない

 

 

 

 

だいじょうぶ

 

ゆっくり しんこきゅうしてごらん

 

すこししたら おちつきます

 

 

そうしたら

 

すこしずつでいいから

ゆっくりでいいから

あわてなくていいから

 

あなたのペースで あるきはじめようよ

 

どうどうと

きぜんとして

 

 

ぼくは

あなたが いっぱいすてきなものをもっている

とても みりょくてきなひとであることを

しっていますから

 

よくしっていますから

 

 

 

 

 

 

曇の上にはいつも満天の星                        2012/10/8

 

 

 

 

 

天使さん

 

毎日、クリニックに「天使さん」が来ます。

 

今年の夏くらいから毎日。

 

天使さんは、クリニックの入り口にある花に水をやってくれます。緑色の小さな象さんのジョウロで。

 

どうしてだかわかりません。

最初は少し不思議だったのですが、最近は“ありがとう”に変わりました。

 

 そもそも、天使さんは人間を驚かすのが大好きな、少しお茶目なところがあるのではないかと僕は思っています。

 天使さんは、人間がビックリするのを見てうれしいと、背中の羽根をほんの少しだけ周りにわからないようにパタパタさせるのです。

 

 

 天使さんが水やりをしている時の表情はとっても楽しそうです。一つ一つの花を愛しむように、ニコニコしながら。

 そして、何事もなかったかのようにサッと去って行きます。象さんのジョウロを無造作に花壇の端に放り出して。

 

 天使さんは、その優美な姿からは想像もつかないくらい大胆で無造作なところがあることも、僕は知っています。

 

 でも、帰って行く時の天使さんの足どりはどことなく軽やかです。

 

 

 天使さん、いつもありがとう。

 

 

 天使さんのような純粋なこころが、ほんの少しでもいいから僕にあったらな・・・。

 

 

 

 

羽根は生えてイナカッタヨ                                    2012/10/19

 

 

 

 

 

サッカーワールドカップ アジア最終予選「オマーン戦」

11月14日、サッカーワールドカップアジア最終予選「オマーン」戦が行われました。

 

 気温が35℃を越える酷暑だったにもかかわらず、日本は2ー1でオマーンを破り、勝ち点13でB組トップを維持しました。最終予選では各組の2位まではワールドカップに確実に出場できるので、現在2位のオーストラリアが勝ち点5であることを考えると、ワールドカップ出場がかなり現実味を帯びて来たと言えます。

 

 この間の試合はアウェー(敵地でやること)で、ほとんどのサポーターがオマーン人。酷暑に加え、爆竹の音やメガホンによる声援、フラッシュライトによる妨害?等があったにもかかわらず、後半77分に途中から入った酒井(高徳)が左サイドからドリブルで勝負し遠藤にパス。それを遠藤がヒールでシュート気味のキックをしたボールを右サイドから飛び込んで来た岡崎が決めるという流れるような決勝ゴールでした!

 

 先取点は日本が取ったのですが、オマーンに追いつかれていたので日本のサポーターの心にはイヤなムードが漂っていました。日本にとってはは、アウェーならではの様々な不利な条件が揃っていたからです。おそらく、一昔前の日本だったら良くて引き分け。総崩れで負けていたかもしれません。

 

 しかし、今の日本代表は違います。どんなに厳しい状況になっても勝ちに行ける、強いメンタリテイを持っています。アウェーなんだから最悪引き分けでもいいという考え方もありますが、今の日本代表にはそのような甘い考え方はありません。相手がどんな相手でも何が何でも勝つ。

 今の日本代表の強さの源は、強い闘争心だと思います。

 

 どんなにつらい状況になっても、最後まであきらめない。

 

彼らから、大切なことを教えられた一戦でした。

 

これで、ますます、僕もブラジル大会行きが現実的になって来たかな(笑)!?

 

 

 

積もる雪はイヤだけど結晶は好きです             2012/11/18

 

 

 

 

 

 

 

故きを温ねて、新しきを知る

毎日寒い日が続いていますね。

 患者さんんとの面接の第一声も、「寒いですね〜」という言葉が多いように思います。今年は9月まで記録的な暑さだったからか、気温の変化について行けない感じがします。

 

 さて、先月、以前勤めていた富士見高原病院の旧病棟(通称「富士病棟」)が解体されました。大正時代に建てられたとても味わいのある木造の病棟です。堀辰雄の「風立ちぬ」の舞台となったことでも有名なのでご存知の方も多いかと思います。同時期に活躍した画家竹久夢二もそこで人生を終えました。

 

 僕にとっても忘れられない建物です。そもそも、富士見高原病院に赴任することになったのは、医学生時代にここの病院で内科実習をしたことがきっかけだったのですが、2週間の実習中はこの「富士病棟」の病室で寝泊まりしたのでした。廊下を歩くとギシギシ音がするし病室は裸電球一個で、初日から数日は怖くて眠れなかったのを覚えています(笑)。

 でも、そこで過ごすうちに少しずつ病棟の柔らかくて暖かい雰囲気を感じるようになり、実習が終わる頃は離れ難くなっていました。

 

 5年間の赴任中も、映画のロケに使われたり雑誌編集者が取材に来たりしていました。

 以前から、この建物を残そうという意向があり、町民の間でも保存会もできていました。僕も是非残してもらいたいと思っていました。病院としても移築する方向で検討されていたと聞いています。ところが、なぜか解体ということになってしまいました。

 とてもショックなことです。

 

 今、どんどん故き良き時代の遺構が壊されています。歴史的にも建築学的にも貴重な「財産」なのに。そこには、様々な人の魂が宿っているのに。その貴重な人の「生きた証」「生きた時間」が、重機であっという間に壊されてしまう。とても切ないことです。

 

 数年前ロンドンに行った時、街全体が100年以上経っている建物ばかりで、まるで大きな博物館を歩いているようでした。向こうの人達は歴史的な遺構を大事にします。壊れそうになったら補強し、できる限りその時代の文化を残そうとします。そのためには莫大な費用がかかるのですが、そういうことにお金を使うことは誰も反対しない。きっと、先人から学ぶものが多いことを知っているのでしょう。

 

 日本は、どこの地方に行っても同じように見える。

 この間、久しぶりに松本に行った時もびっくりしました。道路幅が拡張され、街中を流れる女鳥羽川の河岸はコンクリートで固められ、学生時代によく通った縄手通界隈も「現代的」になっていましたが、そこにはもう「松本らしさ」は感じられませんでした。どこにでもある地方都市の風景でした。そのうち、日本全体が同じような情緒のない街と化して行くのではないか・・・?そんな怖さも感じました。

 

 昔から先人達が伝え受け継いで来たもの・・・「らしさ」といったその土地の文化、それを象徴する建物、街並、しきたりといったものは、時代が変わってもでき得る限り残す努力をしていかなければならないと思います。

 

 安全や便利、合理的といったものさしだけで計られ、貴重な文化や財産や消えて行く。そこには、日本人の文化への思慮の浅さが見え隠れするようで寂しい感じがします。

 

 温故知新・・・

 

 大切にしたい言葉です。

 

 

 

 

イルミネーションの季節                 2012/11/25

 

 

 

 

まだまだ・・・

まだまだダメだな・・・   そう思います。

 

 今日の仕事は、点数でいうと30点。いろいろな意味で、自分の未熟さ、修行の足りなさを痛感する一日でした。

 

 何か特別なことがあったというわけではありません。でも、僕としては、自分の仕事の内容に納得がいかないのです。患者さんにも申し訳ないのです。

 

      治療には、100点もなければ0点もないことはわかっています。ほんとは60点くらいとれればギリギリ進級です。でも、どう考えても今日の点数はその半分。

 

 もっと、患者さんに満足していただける面接ができるように精進しなければ。

 

 今日は、そんな思いを強くした一日でした。

 

 

 

自分を責める夜になりそう・・美しい満月なのに        2012/11/28

 

 

 

 

生きているということ

先日、中央自動車道笹子トンネルで痛ましい災害がありました。

 

 僕も中央道はよく使うので、災害を知った時は他人事とは思えず背筋が凍る思いがしました。

 

 それにしても、災害で犠牲になった方々は本当にお気の毒です。

なぜ、高速道路のトンネルの天井が落ちてくるのでしょうか!そんなこと、絶対あってはいけないことです!

 報道によると、日頃の点検がずさんだったことが原因のようです。もしそうであれば、「人災」ということになります。だから、よけい悔しいのです。もっときちんと危機感を持って点検をしていたら、こんな痛ましい災害は起こらなかったはずです。いずれにしても、日本道路公団の責任は極めて重大だと言わざるを得ないでしょう。

 

 犠牲になられた方々は、災害の直前までトンネルの天井が落ちてくるなんて夢にも思わなかったでしょう。

 

 本当に、心からご冥福をお祈り致します。

 

 

 人生は何が起こるかわからない。3・11や今回のトンネル災害を考えると、改めて強くそう感じます。

 今自分が生きていることは、当たり前なことではなく奇跡なのかもしれない・・・。

 そう思います。

 

 

僕には、未だに忘れられない事件があります。

 1994年6月28日に死者8名を出した「松本サリン事件」。

 この事件で、医学部のクラスメートを亡くしました。彼女は、東京の一流大学を卒業し信州大学医学部に再入学した、いわゆる再受験組の一人でした。僕の学年は再受験組がクラス内で約一割ほどいて、皆同じ志を持った「同志」のような親近感があり、お互いに仲が良かったのです。

 

 彼女はとても優秀で、ある科の実習の発表を全て英語で行い、医局の教授や先輩方も度肝を抜いたと聞いたことがあります。でも、そんなところは微塵も出さず、とても謙虚で穏やかで優しい女性でした。

 

 事件が起きた時、しばらくは、何が起こっているか理解できず混乱しました。市内上空を飛んでるたくさんのヘリコプターの音だけはよく覚えています。なぜ彼女が死ななければいけなかったんだろう・・・?何度も何度もそう思いました。実行犯とは全く無縁の彼女がなぜ・・・?

 

 再受験組の受験生は、医師になり世のために尽くしたいという志を人一倍強く持ち、必死に勉強して医学部に入学します。現役生と比べ、ハンデイーが多く課せられるからです。

 

 きっと、彼女は無念だったと思います。

 僕たちクラスメートも、無念で悔しかった。強い怒りも覚えた。

 

 

 僕はそのとき誓いました。

 

 『彼女の意思を、生き残った僕たちが受け継いで実現させなければならない。必ず良い医師になって、彼女の分まで患者さんのために貢献しよう』と。

 

 今でも、つらかったり苦しかったりした時は彼女のことを思います。彼女が味わった苦しみや悔しさに比べれば、今の自分の苦しみなんかは取るに足らないんだと。

 

 毎日患者さんを思い、患者さんに寄り添い、時には患者さんを叱咤激励し、少しでも患者さんに元気になっていただけるように頑張ること・・・。

 

 これは、僕の生き甲斐であると同時に、彼女の無念を晴らし意思を受け継いでいく僕の責任でもあります。

 

 

 生き残った者が、亡くなった者の分まで一生懸命生きる。

 

 

 

そして・・・

 

 自分で「生きている」のではなく、『生かされている』・・・

 

そう、強く感じます。

 

 

 

 

寒さが厳しい夜ほど、星は光輝きます

2012/12/6

 

 

 

 

明けましておめでとうございます

 

明けましておめでとうございます。

 

 2013年がスタートしました。

 今朝は初日の出を拝もうと思っていたのですが、昨晩は深夜までネットを見たりなにげにT・Vを観たりして起きていたため、寝坊してしまい観れませんでした。

 

 昨年もまた、たくさんの方々にお世話になりました。

 

 僕が今いられること、そしてクリニックで仕事をさせていただけていること・・・それは全て、応援して支えてくださる様々な方々の御理解と御協力があるからです。

 そのお一人々々に心から感謝しております。

 本当にありがとうございました。

 そして、今年もよろしくお願い致します。

 

 

 30日から年末年始のお休みに入り、いつもよりちょっぴり長いので、久しぶりに何も義務がない毎日を過ごさせていただいています。普段はクリニックが休診日といっても産業医や講演等が入っていたりするので、まとまって休むという感じにはなりません。

 ただ、こうやって休ませてもらっていると、患者さんには申し訳ないような感じもするし、休み明けに待っている膨大な仕事量を考えると、休んだ方が良いのか休まない方が良いのかわからなくなります(笑)。

 

 でも、「たまには先生も休まないと。先生が倒れたら私たちが困るから」と笑いながら言って下さったたくさんの患者さんの温かい言葉を思い出しながら甘えさせてもらってます。

 患者さんからも、本当にたくさんの素敵なものを頂いているなあと思います。。

 

 でも、やはり、こうやって明日も何もない休みがあるという感覚はホッとしますね。

 

 しかし、今年の冬は寒いですね。初雪は忘れもしない去年の11月11日。その後、ほとんど気温が上がらず12月後半には−12℃までいきました。これは、この辺(原村)の真冬の最低気温くらいです。 このままの調子で寒くなっていくと1月・2月はどうなってしまうんだろう?今から心配です。まだ寒いだけならいいのですが、雪はごめんです。朝早くからの雪掻きはしんどいです。

 

 さて、今年はどんな年になるのでしょう?

 

 自民党が大勝し民主党が壊滅的な状態になって衆議院選挙が終わりましたが、はたして新内閣は今の日本を元気にしてくれるのでしょうか?

 まア、それにしても・・・この国はよく首相がコロコロと変わるものですね。海外の人達からすると、理解できないんじゃないかな。信用もされないと思いますよ。

 そもそも、山積している問題は複雑で多岐にわたっているので、誰がやってもそれなりの時間がかかると思うのです。2年や3年では今の日本の状況を好転させるのは難しいでしょう。ですから、個人的には、各党が自分たちの利害関係で動くのではなく超党派の形で国政を遂行してもらいたかった。各国会議員が党を越えて集まって『日本再生特別内閣』みたいなのを作って。そこまで危機感を持たないと、今の日本はヤバいと思うのです。お互いのアラを探したり足を引っ張り合ったりしてる場合じゃないんですよ。ホントに。

 どうも、今の政治家の方々(皆とは言いませんが)の様子を見ていると、本当に国民の目線で政治をやろうとしてくれてるのかな?自分たちの立場を守ろうとやっきになっているだけじゃないかな?・・・なんて勘ぐりもしてしまいたくなります。

 この感じって、僕だけでしょうか?今回の選挙の投票率がとても低かったこと・・・これは、今の政治家の行動・言動に呆れ果てている国民の失望と虚無感の現れではないでしょうか?「誰に入れたって同じ。どうせ変わらない」「こんなにたくさんの党が乱立して、どこに投票したら良いかわからない」etc...。今回自民党が圧勝したのは、決して自民党が信頼され人気があったからではないと思います(その点は、安倍首相自らも述べています)。

 

 なぜこんなに今の政治に危機感を持っているのかというと、ここ数年患者さんを診察していて、相談される背景に経済的な問題や老後の不安が存在するケースが顕著に増えていると感じるからです。

 この国の将来に夢や希望が感じられる政治が行われていかなければ、僕たち精神科医がいくらがんばって患者さんを治療しても限界があります。クリニックで展開される患者さんとのやり取りは、まさに、人生〜日々の生活そのものだからです。

 

 政治家の方々には是非、国民が夢を持てるような国にしていっていただきたいと思います。

 

 

 

 さて、今年は、(大げさに聴こえるかもしれませんが)『患者さんへの想い(情熱)を失わない医療』を引き続き実践していきたいと思っています。

 

 まだまだ未熟者なのでたくさんの方々の応援や御協力が必要ですが、スタッフ一同精進してまいりますので、御指導・御鞭撻の程、よろしくお願い致します。

 

 

           皆様にとっても、良い一年になりますように!

 

 

 

今晩の夢が・・・初夢?                   2013/1/1

 

 

 

 

 

60sec???

 

 今年の年末年始のお休みは大型連休になった企業が多かったみたいで、クリニックにいらっしゃる患者さんも、まとまってよく休めたとおっしゃる方が多いように思います。そんな僕も、今年はおかげさまでゆっくり休ませていただきました。特にどこかへ出かけることもなく、ただボ〜っと過ごしました。頭を使わないことも、時には大事ですね。

 

 さて、この間TVを観ていたらびっくりしました。あのマクドナルドが、「60秒サービス」なるものを始めたのです。受け付けてから商品を手渡すまで60秒以内にできないと、ビッグマックやコーヒーの無料券をプレゼントするというものらしい。僕は、ビッグマックやポテトは大好きなので個人的にはうれしいですが(笑)、このサービス、何か違和感を感じるのです。ちなみに、何人ものオーダーでも対象になるんだろうか?

 

 そもそも、何でそんなに急がなくてはいけないんでしょうね?

こんなことやったら、作り方や包装が雑になったりする可能性が出てくるし、もしかしたらスタッフの気持ちにゆとりがなくなって、マックが一番大切にしていた笑顔がなくなってしまうかもしれない。

 僕たち消費者は、そんなに1分2分を切り詰めてまで早く作ってほしいと思っていないんじゃないかな。

 

 むしろ、いくら早く手渡してもらっても、商品の品質やサービスが低下するとしたらその方が嫌ですよね。実際、お店によっては、バーガーが崩れていたり包装や入れ方が雑だったりすることが出て来ているようで、YouTubeにも紹介されています。

 マクドナルドのスタッフの方のプレッシャーやストレスもかなり増えるのではないでしょうか?

 

 会社のトップは、こういうことをわかって企画したのかな?何か、サービスの本質を勘違いしているように思えて仕方ないのです。

 

 

 今の社会は、皆、時間に追われるようにして生きているような気がします。

 どこか、心にゆとりがない。何かにせかされるように生きているように映ります。

 そんなに急いで、みんなどこへ行っちゃうんだろう・・・???マックもね。

 

 僕は、30分でも1時間でも待たされても、味にこだわってじっくり時間をかけて作ってくれるような店が好きだなあ。そこには、作る人の料理(商品)へのこだわりや情熱を感じるし、客に対する(良い物を提供しようという)誠実な姿勢があるから。

 

 人から人へ『こころ』を届けること・・・これが、「サービス」ではないでしょうか?

 

 

 

 

カリッ!としたマックポテトは大好きです

2013/1/13

 

 

 

 

 

 

 

 

行ってきました

人間ドックに行ってきました。

 

 もともと胃腸が弱く、胃痛等の自覚症状もあったので「何か変な物が見つかったらどうしよう?」とか「もしそれが悪性の物だったらクリニックはどうしよう?」などと良からぬことを考えておりましたが、結果はOK。今すぐにどうこうしなければならない異常はありませんでした(拍手:パチパチ)。

 

 あ〜、良かった。

 まだまだやりたいことがいっぱいあるし借金も残っているので(笑)、今は病に倒れるわけにはいかんのです。

 

 でも、毎回ドックを受けると、とても良い勉強をさせてもらいます。自分が患者になることで見えてくること、教えられることがいっぱいあるからです。

 

 検査の前はドキドキするし、ドクターの診察の前はどんなドクターだろう?とか、怖い先生かな?とか、叱られないかな?と考えるし、看護婦さんや受付の人が無愛想だったらどうしようとか・・・いろいろ考えながら待っているのです。

 

 僕のクリニックの患者さんも、きっとこんな気持ちでいらっしゃるに違いない。

 だから、時々患者になることは、医師にとってもすごく大事なことだと思うのです。

 

 でも、今日の諏訪日赤の人間ドックはすばらしかったなア。

環境も一新してとてもきれいだったし、スタッフの皆さんが始終笑顔を絶やさず丁寧に接して下さった。僕のクリニックも見習わなければ!と思いながら過ごした一日でした。

 

 今日対応して下さった諏訪日赤の皆さん、お疲れさまでした。

 

 ありがとうございました。

 

 

 

暖かな陽射しにホッとして                  2013/1/31

 

 

 

 

冬バテ

今年の冬は寒かったですね。雪も多かった。

 

 雪の予報が出るたびに、「また雪掻きかア」と憂鬱になります。

北海道や日本海側に比べれば大した雪ではないのかもしれませんが、この地域は降っても年に数回なので、慣れていない分しんどいですよね。今年は雪掻きだけではなく車の運転も神経を使わなければなりません。

 北海道では猛吹雪で亡くなられる方も出ているようです。今回の寒波は今世紀最大という情報も。まだまだ油断はできませんね。

 

 でも、3月に入ってようやく暖かくなって来たような気がします。

 

 今年はあまりにも寒くて雪も多かったためか、今僕は『冬バテ』です。体はだるいし、朝は起きたくありません。仕事は好きなのですが、布団から出たくないのです。毎日、目覚まし時計と格闘しています。

 

 夏バテがあるなら、冬バテがあってもおかしくないんじゃないかと思います。

 

 

この、季節が移ろいゆく時期は体調を崩しがちです。

 

皆さんも、風邪等引かないように気をつけて下さいね。

 

 

 

鹿の乱れた足跡は春の足音?                2013/3/3

 

 

 

 

 

 

 

4歳の誕生日

また、しばらくブログを更新できないでいました(汗)。

 

さて、今日でクリニックを初めて丸4年たちました。早いな〜と思います。

 

 ちょうど開院した時も、茅野駅前の桜が満開でした。今年も見事に花をつけています。

 

 この時期は、入学や転勤の時期。そして、新しい場所で新生活をスタートする患者さんとお別れしなければならないことが多い時期でもあります。ここのところ、毎日のように紹介状を書いています。

 共に病気と闘って来た患者さんとお別れすることは、医師としてだけではなく一人の人としてとても寂しいです。でも、患者さんお一人々々が新しい土地で元気に過ごして行かれるように祈るばかりです。

 

 クリニックも5年目に入り、毎月700人近い患者様がいらっしゃっています。カルテも1,800件を越えました。

 

 まだまだ至らない点が多いですが、医師としてもクリニックとしても患者様にホッとしていただける医療を提供していけるように、気持ちを新たに頑張っていこうと思います。

 

 これからも、よろしくお願い致します。

 

 

 

冬のような春のような・・・               2013/4/13

 

 

 

 

 

久しぶりの東京

今、東京に来ています。

 

今日から3日間、産業医更新の講習会に参加するためです。

 産業医の資格は、5年ごとに講習会に参加して更新しなければなりません。毎日忙しくてなかなか講習会に参加できないため、3日間で集中して単位を取ってしまおうということで、東京を中心にさまざまな地域からドクターが参加しています。

 でも、正直きついなあ(汗)。

世の中はG・Wだというのに、連休全部、朝から夕方まで教室に缶詰状態で講義とは・・・。

 

 

 今、宿泊しているホテルの眼下には、首都高を走る車のライトが川のように流れています。その脇にある竹林は、強風に翻弄されるように激しく揺れています。でも、目を水平に移すと、高層ビルの赤いライトが思い々々の感覚で点滅しています。

 この、あたかも統一感のない景色が、どこか不思議な感じがします。

 

 それにしても、信州に住むようになってからは、このような景色から遠のいています。

 だから、逆に新鮮だな。たまに来る東京は。

 

 せっかくだから、この3日間を楽しんでみようと思います。

 

 

 

 

 

でも・・・、東京の夜景ってこんなに寂しかったっけ?       2013/4/27

 

 

 

福岡は暑かった

22日から今日まで、日本精神神経学会総会に参加するため福岡に来ていました。

 

 連日27~28℃の夏日で、蒸し暑かった(汗)。こういうところは信州と違います。それに加えて、PM2.5の飛来もあり、初日から二日間は街全体がどこか霞んでいました。

 でも、博多は町の中心部に那珂川が流れていて東京程大都会ではないけれど、どこか風情がある街です。

 

 今回は、スケジュールがタイトであちこち見て回る余裕がなかったため博多らしさを体験することがほとんどできなかったのは残念ですが、フラッと入った博多ラーメンは美味しかったな。

 濃厚な豚骨スープに柔らかくて大きいチャーシューが乗っかってる。麺は細麺。見た目はいかにも脂ギトギトという感じなんだけど、後味はなぜかさっぱり。サッポロラーメンもおいしかったけど、博多ラーメンもひけをとらない。どちらも独自の世界がありますね。

 でも、食事中、カウンターの隣の席の初老の男性が「私が今からあなたに手をかざしますから、体の疲れが取れたら仰って下さい」と声をかけて来た時には、思わず器に顔を突っ伏してしまうかと思いました(笑)。もちろん、お断りしましたが。

 

 いつ行っても学会は様々な刺激を受けます。普段著書でしか会えない高名な精神科医にも生でお話を聴ける。未熟な僕にとっては、またとない機会です。普段、いかに自己流でやっているかを思い知らされたり、逆に、迷いながらやっていることがこれでいいんだ!と勇気づけられたり。

 学会に行く前はとんでもなく忙しく、また風邪を引いて体調も崩していたので「学会に行きたくないな〜」なんてスタッフに愚痴っていましたが、行って良かったと思います。明日から、患者さんに会いたいという気持ちが更に強くなりました。

 

 

 

疲れた心を癒すには緑                  2013/5/26

 

 

 

いやア〜、よかったア

 

サッカーワールドカップアジア最終予選オーストラリア戦・・・

 

・・・やってくれましたア!!!!!W杯出場決定!!!!!!!

 

 でも、正直疲れた(汗)。

 終始、日本のペースで進んでいた後半37分、まさかの失点。‘入る分けねーだろー’というゴール(涙)。一瞬、あの「ドーハの悲劇」が頭をよぎりました。頭が真っ白になった。混乱した。そして・・・、恥ずかしいけど、負けてしまうと思った。

ところが・・・

その後、日本が反撃する中での相手チームのハンド→PK!!!!!!

本田が決めて同点。

 

結局、1-1で引き分け=ワールドカップ出場決定となりました(祝)!

 

       ホントにうれしい。心からうれしい。

 

 でも、どこか自分を責める気持ちがあります。

今まで、どんな場面でも最後まであきらめないで応援することが自分の信条だったのに、今日の試合では一瞬、「ダメかもしれない」と思ってしまった。そういう自分が情けない。

 

 どんな状況でも、最後の一分一秒まであきらめてはいけない。

選手達もサポーターも、そうやって闘っていました。ところが、僕は一瞬あきらめた。そんな自分が許せないのです。

 

 人の人生も同じでしょう。最後は、その人の強い意思が左右する。

 

 実力や環境を飛び越えて流れを左右するもの・・・それは、その人の気持ちの力(気力)なのです。

 それは、心の中に湧いてくる焦り、いらだち、あきらめ、過去の失敗やトラウマ、環境や他人や運のせいにするといった、自分の心の中から亡霊のように湧いてくる自分の弱さとの闘いです。

 それに打ち勝った者だけが、自分の夢を達成する。

 

 僕は、今日の試合中に一瞬だけど「ダメかもしれない」と思ったことで、自分の弱さに負けました。そういう自分にショックだった。選手達に申し訳なかった。

 

  次からは絶対に、こんなみっともない自分は見せない。

 

    どんな時でも、最後の最後まであきらめない。

 

 喜びのインタビューに答える選手達の映像を観ながら、心に誓いました。

 

 

 

 

(P・S)  

 さて、困ったな・・・。ブラジルに行くことを真剣に考えなくちゃ。

 

 

 

W杯はクリニック休診かも                 2013/6/4

 

 

 

 

しかし・・・

 

本田はすごい。

 

 今回の本田は、決して調子がいいとは言えなかったと思う。明らかに、いつものスピードやキレはなく、精細さを欠いていた。それもそのはず。ロシアリーグで決勝戦を戦い優勝を決めてからまだ48時間も経っていない中での帰国と今日の試合。本調子じゃないことは、彼も自覚していたはずだ。

 

 しかし、彼のすごさは、あのPKの時に示された。

 PKになると決まったとき、彼はすでにボールを脇に抱えて自分が蹴るという強い意志を示していた。普通、不調で自信がなかったら自分で蹴るだろうか?他のチームメートに任せるのではないか?代表には、遠藤や香川といったキックの名手はいくらでもいる。

 しかも、あと数分で試合終了という状況だ。日本としては同点にする絶好のチャンス。同点になればW杯出場がほぼ決定。しかし、ここで決めなければ敗退は決定的。もしこの試合を落とせば、W杯出場の可能性は一気に混沌としてしまう。そんな、ものすごいプレッシャーがかかる状況だ。

 でも、彼は自分で蹴る選択をした。また、皆も彼に蹴らせた。

 

 ここに、彼の精神力の強さとチームメートのお互いを信頼する絆の強さを感じる。

 

 蹴ったのはど真ん中。思いっきり蹴ってる。球足はものすごく速かった。弾丸のように。

 ど真ん中に蹴るというのは、簡単そうで実は難しい。キーパーに止められる可能性が高いし、上に逸れてしまう可能性もある。むしろ、サイドキックで遅い球速でコーナーを狙った方が易しいかもしれない。

 でも、彼は敢えて渾身の力を込めて思いっきりど真ん中に蹴った。それは、「止められるものなら止めてみろ」という、彼の強い精神力の現れのように感じた。

 

 そもそも、あのPKをもたらしたのは、本田も含め、全選手、監督、サポーター達が“最後まであきらめない!”という強い気持ちを持って攻め続けたからだ。

 先制された後、日本はすぐに相手陣内に攻め上がり、本田がシュートを放った。それは枠に行っていたが、相手のデイフェンダーの足に当たりコーナーキックになった。その時、本田は猛獣のごとく叫んだ。あの叫びは彼なりのいろいろな思いがあったのだと思う。調子が思うように出ない自分へのふがいなさ、コーナーキックというチャンスに持ち込んだ喜び、まだチャンスはある、あきらめないぞという意地とチーム全員への鼓舞・・・。

 そして、彼自身のショートコーナー。その後再びパスを受けて放った低いセンタリングが相手のハンドを誘った。

 彼一人の独壇場みたいに見えるけど、それはけっして彼の独りよがりではない。

 ふがいない自分を何とかしようという意地と責任感、そして、勝ちたいという強い精神力の結果とった行動だと思う。

 

 そして迎えたPK・・・。

 

 彼は、技術コンデイションの良し悪しを超越して、精神力でキーパーと勝負した。そして・・・勝った。

 

 

 そこが、彼の偉大さだと思う。チームメートから信頼される所以だろう。

 

 あの、PKという1シーンからだけでも、人の意思の強さ・素晴らしさ・尊さを感じる。

 人間は弱い動物だからこそ、このような必死にがんばり強い精神力で困難に打ち勝って行く姿を見ると感動させられる。それは、人間が他の動物より優れていて魅力的な部分である。

 

 試合後のインタヴューで、長友が「W杯で優勝するつもりでやっていますんで」と言っていたけれど、あれは本気だと思う。

 まだまだ技術的・戦術的には向上しなければならないけど、今の日本代表チームならやってくれる可能性は充分にあると思う。

 

 

 さあ、次はコンフェデカップだ!

 

 

 

 

僕も見習わなくっちゃ                     2013/6/4

 

 

 

 

 

 

起きたくない...

 

もう6月も終わりますね。

 

 でも、まだ梅雨は明けないようで、そのせいか、どんより曇った朝が多いですね。

 

 ここのところずっと、朝起きたくないんです。体がだるいからずっと布団の中にいたい...。それが本音です。ここのところ、今日みたいに休みの日は一日中ゴロゴロしていることも多いです。

 眠っている時が一番幸せです。

 

 決して仕事がイヤだからじゃないんです。仕事は僕の生き甲斐です。診察室に入ったら気持ちは切り替わります。

 

 ・・・でも、起きたくないんです。

 

 気分が沈んで落ち込む。それが毎日続くとしんどいです。でも、あえて、もう少しこのブルーな気分を味わってやろうと思います。

 

 人には、プラスな気分とマイナスな気分が同じ数だけ与えられていると思います。だったら、マイナスな気分もきちんと認めて受け入れてあげなければ不公平だしかわいそうです。

 

 だから、きちんと味わってやるのです。とことん。

 それもまた、人生。

 こういう時は、中途半端じゃいけません。徹底的にブルーに浸るのです。こういう時の感覚は、水の中で息を止めて苦しいのを我慢している時の感じに似ています。

 

 

 こういう時は孤独ですね。寂しいです。誰も理解してはくれないし、助けてくれない。

 

 でも、僕は小さい頃から、ブルーな気分になることはまんざらイヤじゃないところがあって...。苦しい時こそ、生きている実感があるから。一生懸命がんばって生きている感覚があるから。

 自己不全感が強い人が、リストカットして自分の存在を再確認するのと似ているかもしれません。

 そもそも、苦しいとかつらいとか難しいとか・・・、あえてそんな生き方を選んできたような気がします。「お前は、なんでいつも難しい方を選ぶんだ?」とよく友人に言われました。

 何でだろう?自分でもわかりません。

 

 

 僕は、少しマゾ的な要素があるのかな。

 

 

 日本は四季がはっきりしてますね。

 今は梅雨でジメジメして暗いから、僕のこころも梅雨でいいと思います。

 いつか、晴れてくれるといいな...。

 

 

 

 

 

雨に濡れる緑は映える                2013/6/30

 

 

  

暑いですね

しばらく更新しないでいたら、いつの間にか夏になっていました。

 

それにしても、毎日暑いですね(汗)。

 今年の暑さは、例年とちょっと違うような気がします。蒸し暑いように感じます。ここのところ寝苦しくて、夜中に何度も目が覚めてしまいます。

 

高知や館林では、40℃を超えたようです。

 こう暑いと、頭がボーッとしてくるし、体もだるくてやる気も萎えませんか?熱中症で運ばれる方も多いようで、気をつけないと。

 

 そういえば、先日ニュースで、汗をかくのがイヤな子供達が増えているということを言っていました。体がベトベトするのがイヤだそうです。だから、体育の授業も人気がなく、部活も運動系より文科系の方が人気があるようです。

 

 僕が子供の頃は、体育が一番好きな授業だったのに、今の子供達はいったいどうなってしまったのでしょうか?小さい頃から、室内でゲームばかりで遊んでいると、外で走り回って汗をかくようなチャンスがなかったのかもしれません。

 

 でも、こんなことでいいのかな?

このままいくと、だんだん抵抗力が無くなっていってしまわないかな?

 

 ちょっと、心配になります。

 

 

 

 

猛暑なのに・・ひぐらしとコオロギ             2013/8/11

 

 

 

 

 

コロコロ、コロコロ・・・

これは、コオロギの音ではありません(笑)

 

 

それは、変わるもの・・・

 

それは、自分の気持ち〜感情。

 

 こうやって、目をつぶって自分のこころに意識を向けていると、自分の感情がいかに絶え間なく変化しているかがわかります。

 

どうして、こんなにコロコロ変わるんだろう?

 

自分でも、訳がわかりません。

 

人間のこころっていうのはいい加減なものです。

 

 イライラしたり、怒ったり、落ち込んだり、寂しくなったりしたかと思うと、少し気分が軽くなったり、うれしくなったり、楽しんだり、喜んだりします。前者の気持ちの方が、圧倒的に多いですが・・・。

 

 

 

・・何か、今の自分の気持ちを上手く表現しきれていないな・・

 

 最近、「自分=identity」が少し曖昧になっている感じがします。一時期までは、「これが自分」という感じがあってそれなりに納得していたのですが、ここのところ、どういう自分であるべきか?という命題に答えが出せないでいます。

 

 でも、この疑問は今に始まったことではありません。今までに何回も、その「命題探し=自分探し」をしてきました。

 その答えを見つけると、人として一つ階段を上って来たような気がします。そして今また、その命題にぶつかっています。

 

 こういう時は、マイナスな感情が多く出てきます。日常を支配します。だから、苦しいです。

 

 でも、マイナスな気分になっている時、唯一自分が救われる気持ちが浮かんでくる瞬間があります。

  それは、『人が好き!』という感情が自然に湧き出てきた時です。

 

こういう時は、少しホッとして暖かい感じになります。

そんな感情が湧いてきた時は、いろいろなものがいとおしくなります。
 
 自分の中に、何か熱いものがあるなと感じられる瞬間です。
 
 その、熱いもの・・・目には見えないけど、僕が一番大事にしたいもの。僕を僕足らしめるもの。
 自分の「identity」を思い出させてくれるものです。
 
 
何かの映画の台詞にありましたね。
 
『お熱いのは、お好き?』
 

 

 

 

 

コオロギの音はもの哀しいよ            2013/8/17

 

 

 

 

盆踊り

 子供の頃、夏の一番の楽しみと言えば、地区で開かれる盆踊りでした。B型性格のせいか、小さい頃からお祭りや踊るのは大好きで、日が暮れた闇の中に浮かび上がる提灯の灯りが何とも神秘的で、ワクワクしたものです。また、金魚すくいや綿菓子、景品当てなど日頃体験できないような遊びに時間を忘れて興じたものでした。まさに、夏の風物詩でした。

 

 ところが、先日のニュースで、実家の隣の街では、音を出さずに盆踊りをやることにしたと報道されていました。どうしてかというと、近くに病院があって入院患者さんに迷惑がかかるからということらしい。

 実際、盆踊りの会場の様子が映りましたが、異様な光景でした。皆、浴衣を着て見た目は普通の盆踊り会場と違わないのですが、音が全くしていないにもかかわらず、一糸乱れず踊っているのです。音がない盆踊りというだけでも不思議なのですが、音がないのにどうして皆がぴったりと合って踊れるのでしょうか???それは、皆無線のイヤホンを着けていて、そこから流れてくる音楽に合わせて踊っているからです。驚きました。

 

 でも、どう見ても異様な光景でした。周りには踊りを見に来ている見物客がたくさんいるのに、その人達には音楽は聴こえず、ただ、静かに踊っている人達が見えるだけです。

 

 これって、どう思います?

僕は、少しおかしいと思いました。ここまで配慮する必要はあるのかな?

 

 もちろん、入院中の患者さんへの配慮という点については異論はありません。でも、盆踊りはせいぜい一日、しかも夜の数時間でしょう。もしかしたら、盆踊りの様子が聴こえるだけで心が和む患者さんだっていらっしゃるかもしれない。だから、それくらい許されるのではないか・・・。

 

 僕が心配するのは、今の世の中が、個人主義ばかりが尊ばれて、神経質になりすぎているんじゃないか?ということです。最近は、風鈴の音や花火の音も近所迷惑になるケースもあるらしい。実際、それがトラブルとなって殺人事件も起こっているようです。

 

 でも、昔は、『お互い様』という感覚があったはず。お互いが「持ちつ持たれつ」の深い関わりと人間関係があり、お互いを信頼していたから少しのことは許し合え譲り合えたんじゃないか。

 

 ところが、今は隣近所の絆意識が薄い。隣やご近所にどのような人が住んでいるかもわからない時代。だから、信頼関係が構築できず「持ちつ持たれつ」の感覚は生まれて来にくい。

 盆踊りの音を自粛せざるを得ない背景には、人と人の絆が薄くなって来ている現代社会の闇を反映しているような気がします。

 

 音というのは、感じ方に個人差があるもの。風鈴の音を心地良いと感じる人も入ればうるさいと感じる人もいるでしょう。

 でも、その感じ方の違いを許し合えるのは、人と人の日頃からの信頼関係だったり助け合いや思いやりがあるからこそ。

 

 僕たちは今、そういう大切なものを失いつつあるのかもしれません。

 

 そのうちに、「隣のコオロギの音がうるさいからなんとかしろ」なんてことがまかり通るようになるのかもしれませんね(笑)。

 

 良い音は、季節や文化や時代を反映します。

その良い音までが消えていってしまうのは、コオロギの音が聴こえなくなるくらい寂しいことではないでしょうか?

 

 

 

 

 

コオロギの音・・寂しいけど好きです           2013/8/18

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごきげんよう

 

 先日、国連難民高等弁務官をされた緒方貞子さんのドキュメンタリーをNHKでやっていました。

 その、緒方さんの生き様に感動させられるとともに、その中で出て来た何気ないあいさつに感動を覚えました。

 

 それは、

 

             『ごきげんよう』

 

 

 緒方さんが聖心女子大学に在学中、生徒同士は別れ際に『ごきげんよう』と言葉を交わしたそうです。

 

 なんて素敵な言葉なんだろう!と思いました。

 この言葉には、上品さと相手への気遣い〜思いやりが感じられたからです。

 

 たとえば、僕たちが別れる時は何て言うんでしょう?

「さよなら」「バイバイ」「じゃあね」「またね」・・・etc

こんな感じでしょうか?

 これらの言葉には、一緒にいる時間を断ち切る意味しか含まれていません。そこには、相手の『ごきげん』を気遣う配慮がありません。

 

 『ごきげんよう』という言葉の中には、相手の心や体への配慮がある。一人の人格への尊敬と思いやりがある。そして、ゆったりとした時間の流れ、ゆとりがある。

 このような表現は、日頃から、相手がどのような人か知っていなければ、また、相手を気遣う愛情がなければ自然に生まれないでしょう。

 

 欧米では、旅行していると、‘Have a nice day !’ ‘Have a nice trip !’ と誰もが声をかけてくれます。

 『ごきげんよう』という言葉と同じ精神が、欧米ではまだ生きていますね。

 

 家族や地域や社会の中で人と人の絆が薄れゆく日本の現代社会では、このような味のある挨拶は死語に近いのではないでしょうか?

 

 

 『言葉は人なり』

 

そう考えると、寂しいことです。

 

 

 

 

屋根を叩く雨音に季節の変化を感じます             2013/8/26

 

 

 

 

 

 

ひとり

 

小さい頃からいつもあった気持ち

 

どんなに 親兄弟 友人がいても

常にこころの片隅にあって離れない感覚

 

高校生の頃

部活の友人とはしゃぎまくってバイバイして

一人で立ち寄った本屋で立ち読みしている時

突然こころの中に湧いて来た感覚

今でも忘れない

 

大人になり様々な立場にある今でも こころのどこかに常にある

 

 

でも マイナスに捉えてはいない

同情を求めるものでもない

 

自分のこころの奥底にたしかにあるもの

 

自分なりにしっかり見つめていたい

ごまかしたり 強そうにしたり 元気そうに振る舞ったりしたくない

疲れるから

 

ひとりは決して嫌じゃない

むしろ 気を遣わなくていいから好き

切なくて、寂しいけど

静かで穏やか

騒々しくなくていい

 

太陽より月に似てる

寂しいけどやわらかくてやさしい光

 

サンバよりボサノバに似てる

スローな どことなくけだるい穏やかなリズム

 

落ち着く

 

 

所詮 人は孤独

ひとりぼっち

 

時としてつらい

寂しい

不安

甘えたい

 

だから群れる

親にだだをこねたり 友人を作ったり 恋人を作ったり 仲間を作ったり 成り行きで結婚したりする

徒党も組む

 

でも それで完全に満たされることはない     決して

 

孤独感や不安感や寂しさが消えることはない

 

 

人は一生 ひとりで生きる

 

ぼくもそう 皆もそう

 

だから

話を聴いてあげたい

時には 一緒にいてあげたい

 

そう思う

 

そして

 

ひとりでも生きれるようになること

ひとりを受け入れ味わえるようになること

 

それも ひとりで生きるためには大切なこと

 

 

今僕は

時には ひとりと格闘し

時には ひとりを味わって

でも やっぱり葛藤して かろうじて生きている

 

きっとこれからも そうやって生きていくだろう

命ある限り 最後まで

 

 

 

 

 

外は嵐                        2013/9/15

 

 

 

 

 

 

俺は俺

 

こういう考えは常にあります。

 

だから、孤独だし、それが自然だと思っています。

 

 

僕は群れるのが嫌いです。

 

群れた方が寂しさや孤独感が軽くなるのだろうか?

 

群れている時は軽くなるかもしれません。そういう仲間がいるということは、孤独で寂しくなった時のこころの拠り所にもなってくれるでしょう。

 

 でも、所詮、人は独りで生きていかなければならない。人の世話になるにしても、自分は独りでも生きていけるという精神的自律性を持っていなければ、相手に依存してしまうことになります。

 

人生は孤独。

まず、この事実を受け入れなければなりません。

僕はそう思います。

 

 

 最近、歴史に名を残した人物の生き様に興味を持ち、伝記や歴史書を読んでいます。

僕が大好きな坂本龍馬が遺した言葉です。

 

 『世の人はわれをなにともゆはばいへ、わがなすことはわれのみぞしる』                <坂本龍馬(1835-67)>

 

 

 坂本龍馬は、ご存知のように徳川体制に変わる新しい政府による日本を作ろうと奔走した人物ですが、様々な者から命を狙われました。幕府を存続させようとする者からはもちろんのこと、倒幕派からも誤解されて狙われる危険性がありました(最後は「池田屋事件」で暗殺)。しかし、彼の信念は変わりません。自分が正しいと信じて行うことは、たとえ人から理解されなくてもそれで良しとする。

 先述の言葉は、「世間の人が自分のことをどのように評価しようともかまわない。俺が生を得てなすべきことは俺だけがわかっている。それで良い」という意味でしょう。

 

 もう一人大好きな人、勝海舟の言葉。

 

『行蔵(こうぞう)は我に存す。毀誉(きよ)は他人の主張、我に与らず(あずからず)、我に関せずと存候(ぞんじそうろう)』

                       <勝海舟(1823-99)>

 

 少し難しい言葉がありますね。行蔵とは出処進退、毀誉とは良いとか悪いとかの人の判断。

 勝海舟も龍馬とは異なる境遇にあった幕末の役人ですが、徳川幕府に仕えながら幕府の海軍奉行を担った人です。彼も幕臣でありながら、もう徳川の時代は持たない、外国の列強と堂々と渡り合える新しい日本を作らなければならないと考えていた人でした。だからこの人も様々な人から狙われた。幕府側からは裏切り者、倒幕派からは敵と見なされて何度も暗殺されかかりましたから、以蔵(人斬り以蔵)というボディガードをつけて移動していました。

 

 先述の言葉は、新政府が樹立されてから、勝海舟が元幕臣という立場なのに新政府の重要閣僚になったことに対して福沢諭吉が「痩我慢の説」という書簡の中で批判した・・・。それについて勝が返した言葉です。

 

 「自分の在り方は自分が決めること。人はそれを良いとか悪いとかとやかく言うが、そんなことは俺には関係ないこと」

 

 複雑で難しい立場にありながらも動乱を生き抜いて来たしたたかな男の痛快な言葉です。福沢諭吉は慶応義塾大学を創設したことで有名ですが、このやりとりを見れば、どちらが人間の器が大きいかわかりますね。

 

 

 人は自分のことは理解してくれません。どんなに誠実に生きても。どんなに真摯に伝えようとしても。むしろ誤解されることの方が多い。

 なぜなら、自分と人は違うからです。自分の物差しで理解するしかないからです。だから、相手の気持ちがわからない。

 

 でも、それは仕方のないこと。お互い、理解し合うという努力は必要だけど、完全にわかり合えるという幻想は抱かない方がいい。

 

だから、最後は自分を信じるしかない。

 

自分が誠意を持って、信念を大事にして生きていればいい。人がどう思おうと。

人が好きで、信念と誠意を持って生きていればいい。

 

 

 

自分に正直に生きると孤独になります。

 

でも、自分に嘘をついて人と群れたり人に媚びたりするよりはいい。そんな生き方はしたくない。

 

だから、孤独です。理解されないから。でも、それは自然なこと。

だから、孤独は僕の大事な友人です。

 

独りは孤独。

 

でも、人が好きだという自分を信じ、自分に正直に生きれば、独りで孤独でも、こころは静かです。

 

 

 

人の評価や世間の常識なんかクソッ食らえ!!  バカやろう!!!

 

 

 

人と同じような生き方はしたくない。

 

俺は俺だから。

 

俺は俺でしかないから。

 

 

 

 

 

外は黄金色の絨毯                 2013/9/23

 

 

 

 

うつろい

 

ここのところ、朝晩が冷えますね。

僕が住んでいる辺りは、9℃とか8℃とか一桁になってます。

 

 日の出も遅くなって来たし布団の暖かさも心地良くなってきているので、起きるのがつらいなと感じる日も増えてきました。

 

少しずつ、季節はうつろいゆく。

 

ちょっぴり寂しい感じがします。

 

 

 最近の僕のblogの内容は、何となく暗いものが多いとお感じになっていらっしゃる方もいるかもしれませんね。

でも、御心配なく!

 

少なくとも、仕事には支障は出ていませんから(笑)。

 

 むしろ、僕自身が独りの人間として悩みながら生きていることは、クリニックにいらっしゃる患者さんのつらさを理解する上で不可欠な要素なのです。

 

 

 医師と患者さんが診療という接点を通して交わりぶつかり合う要素が治療には不可欠だと思っています。

 患者さんの人生と医師の人生が交わる。

 

 もちろん、医師は治療についての専門的な知識や技術は持っています。しかし、それに奢ることなく、まず、医師も患者さんと同じように生きるつらさを抱えて生きている一人の人として関わる姿勢が大切だと考えています。

 

 ですから、毎日が真剣勝負です。

 医師としての僕と患者さんのこころの力動(それぞれのこころの動き)を意識してそれを生かせるような治療をしたいと考えています。そうすれば、傾聴、受容、共感という基本的な姿勢は自然に生まれてくるでしょう。

 

 医師は、医師である前に、患者さんと同じ一人の人であるということを忘れてはならないと考えています。

 

 だから、最近の僕の‘ひとりごと’は、飾らない自分〜弱い自分をそのまま素直に受け入れて表現してみたいという意図の現れです。

 

どうか心配しないで下さい。

 

 どんなに孤独でつらくても、診察室で患者さんとお話ししていると自然に元気になるのですから(笑)。

 

 

 精神科医という仕事は大好きだし、天職だと思っています。

患者さんのお話を聴かせていただきながら、僕自身が励まされ学ばされ、エネルギーをいただいているのです。

 

 それは、僕と患者さんのこころの交流から生まれるエネルギーによるものなのでしょう。

 

 

 明日はまた、どんなドラマが待っているのだろう?

 

 そのドラマを共有し、患者さんのつらさを「割り勘」で受け持たせていただくこと・・・それが、僕がこの世に生を受けた使命だと思っています。

 

 

 

 

今日も星が美しい                 2013/9/29

 

 

 

 

 

ラフマニノフ

 

最近、ラフマニノフのピアノコンチェルトにはまっています。

 

DAVID HELFGOTTというオーストラリアのピアニストを描いた『SHINE』という映画を観たのがきっかけです。

 

 このピアニストは、おそらく広汎性発達障害に統合失調症を合併していたと思われるのですが、幼少期からピアノに関しては天才的で数々の賞を受賞した人です。各国の著明な音楽大学から奨学生として招待されましたが、父親が厳格な人で、本人の自由にはさせませんでした。そのため、若い頃には日の目を浴びずに精神病院に入院させられていたのですが、彼の才能に周囲が気づき、相当年齢を経てから世界的に脚光を浴びました。

 

 映画の中でラフマニノフのピアノコンチェルトを弾くシーンがあるのですが、それが圧巻で感動しました。ピアノ曲の中でも難曲中の難曲と言われる作品です。

 その映画を観てから、ラフマニノフの素晴らしさを改めて感じ、ピアノコンチェルトの1番から4番を買い込みました。もちろんHELFGOTTのアルバムもですが、同じ曲を違うピアニストで聴き比べています。ラフマニノフ自身の演奏に加え、ホロビッツ、クライバーン、ギーゼキング、アルヘリッチ、アンソネス、ベレゾフスキー、ブロンフマン、ベルマン、ボロドス、トカレフ、ラローチャ、キーシン、ジルベルスタイン、ルガンスキー、アシュケナージetc...

 僕はその中でも『ピアノ協奏曲第3番二短調Op.30』が一番好きです。本当に同じ曲か??というくらい、それぞれのピアニストによって表現が違うのですが、その解釈の仕方の多様性が面白いです。

 

 ちなみに、僕はクラウディオ・アバド指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団がサポートするリーリャ・ジルベルシュテインの演奏が一番気に入ってます。録音状態は悪いですが、ラフマニノフ本人の演奏も残っています。でも、どこか雑に聴こえて僕はあまり好きではありません。作曲者ではない演奏者の表現の方が心を打つのも、また面白いですね。

 

 こんなにロマンティックで、雄大かつ繊細な曲を遺してくれたラフマニノフに感謝・感謝です。

 

 作曲家はいいなア。その人の感性が、時代や空間を超えて後世の人々の心の中に飛び込んでくるのだから。

 

 

 

田んぼの中のとんがり帽子            2013/10/17

 

 

 

 

 

 

 

 

ある青年のtsubuyaki

 

 

孤独  不安

 

いつも   ついてまわるもの

 

かおやからだのまわりにまとわりついて  なかなかはなれてくれない

 

 

いばしょのなさ  それは  

 

   そこにいていいんだよ  いてもだいじょうぶだよ

 

という ほしょうがないこと     あたえられなかったから

 

                  あたえてもらえなかった

 

 

 

だから いつも 

 

孤独で不安

 

 

Hitoは   ときに

 

かくにんをして あんしんしようとする   強迫

いぞんして あんしんしようとする 酒 タバコ パチンコ 過食

 

でも しょせん そのばしのぎ

 

えいえんの あんしんは えられない

そこには ここちよい いばしょはない

すぐにふあんがやってくる さびしさがおそってくる

 

じんせいは     不安  孤独  を いきるということ       

 

いばしょさがし     それも      じんせい

 

じんせいは 

ほんとうは いばしょがないのに 

いばしょさがししてるようなものなのか

えいえんにやすらげるいばしょという げんそうをもとめて

 

 

孤独  不安     やっかいだが  なかよくなるしかないか

 

なかよく?    とんでもない!   でも   しかたないか  

 

 

いとおしいくらいに  せつない

 

せつないくていとおしい   いとおしくてせつない  せつない

 

 

 

Hitoがすき

 

いきるのはつらい  つらいはいきること

 

 

そういう Hitoがすき   

そういう じぶんが  すき  いや  きらい   わからない

 

 

つらいから  くるしいから  いばしょがないから

さびしい  こわい

 

 

だからいとおしい       つらいけどすき  すきでつらい

 

 

 

  

  

  むつかしいじぶんに  もうすこし   つきあってみます

 

 

 

 

 

朝霧にかすむ紅葉                2013/10/31

 

 

 

 

 

フクザツ

 

自分は、困ったくらいに複雑な人間だと思います。

 

隣にもう一人僕のような人間がいたら、付き合いたくないなと思うくらいです。

来世、もう一度人間に生まれたなら、もっと素直で何も考えないでいられる人間でいたいと思います。

 

基本的には人が好きなくせに、甘えられない。甘え方を知らない。いけないと思ってしまうからです。

 

逆に、甘えられるのは得意で、関係ができると、楽しませてあげよう、気持ちよくさせてあげよう、少しでも哀しみを軽くしてあげよう、少しでも苦しさを共有してあげたい・・・そう思います。

 

僕が一つだけ・・・謙遜抜きでたった一つだけ取り柄があるとすれば、相手の良いところを見抜けることです。それは、誰よりも得意だと思っています。

 

でも、自分に対しては極めて複雑です。

 

人と同じ生き方はしたくない、世間や常識なんかクソッ食らえ!と思って生きています。自分の意に反することには、たとえ百人・千人と対峙しても独りで闘う覚悟はできています。

いつも自分は一匹狼だと、少しかっこつけて生きています。

皆と同じなのは嫌なのです。一回きりの人生だから、誰もしないような生き方をしたい。そう思っています。

 

でも、どこか甘えたい気持ちがあります。でも、甘えられません。

甘え方を知らないのです。

僕にとって、心から甘えられるということは永遠に憧れであり、幻想的なものです。

 

寂しさと甘えは表裏一体です。

 

上手く甘えられれば、少しは寂しさは癒されるのだろうか?

 

心から甘えた経験がない僕にはわかりません。

でも、きっとそんな感じがします。

時々、それと似た瞬間があってホッとするからです。

 

しかしながら、先の理由から、僕は寂しさやそこから生ずる不安といかに付き合っていくか?・・・この命題をいつも抱えて生きています。これは、僕の宿命といってもいい。

 

変なことを言いますが、孤独や不安には安らぎを感じます。それは、あのわさびの強烈な辛さの中に宿る甘さにも似ている。

 

華やいだ明るさは子供の頃には持ち合わせた・・・いや、そのように振る舞っていたといってもいい・・・けど、疲れます。余分な気を遣うから。

 

ひとりぼっち、孤独、寂しさ、不安は、太陽ではないけれど月に似ている。月の明かりは、全てをくっきりと照らしてはくれないけれど、ほのかな和らいだ光でホッとさせてくれます。

そんな、不思議な穏やかさがある。

 

同じマイナスな感情でも、怒りやイライラ、嫉妬とは違います。それよりもっと穏やかで柔らかい。疲れない。あまりエネルギーを使わない。

 

だから、寂しさや不安はあって良いと思っています。怒りやイライラや嫉妬よりは上手く付き合えそうな奴らです。

 

これは、僕の強がりでしょうか?

 

 

 

僕は、こんなフクザツな自分が好きで嫌いです。

 

 

 

 

漆黒の闇とガラスと顔               2013/11/4

 

 

 

 

 

幸せに感じるとき

 

幸せに感じる瞬間

 

 

小学校低学年と思われる子 横断歩道の脇に立っていて

こちらが止まったら あちらの車も止まってくれて

その子が渡り終わった後 その子はペコっと会釈

あちらの運転手さんとこちらの目が合って 

お互いニコッとした とき

 

 

ベルマンのラフマニノフピアノコンチェルト第3番第3楽章のカデンツァを聴いてる とき  (最近は第2番より第3番の方が好きです)

 

 

真っ赤なカエデの葉に見とれていたら

その向こうの遠く高いところに 真っ青な空が広がっていて

目の片隅に 一切れの真っ白な雲が流れて来た とき

 

 

真央ちゃんのエキシビション 

その柔らかくて繊細な演技を見た とき

 

 

太宰を読んでいて

「ああ、この人も僕と同じ 孤独、不安、見栄、キザ、劣等感

を抱いていたんだ」

と感じた とき

  でもね  

  彼は 本当は人一倍 人の愛情に飢えていたんだよ

  彼は 誰よりも強く 血の通った暖かい関わりを欲したんだよ

 

僕にはわかる  よくわかる

 

 

 

クリニックの小さな子ブタさんの置物に

朝日の7色のプラズマ光が当たる とき

お陽様の高度が低いこの時期にしかない現象

 

 

診察中にどうにもお腹がすいて

「たいこ焼きさん」のあんことクリームを食べて 

ホッとした とき

 

 

喉が渇いた時の キンキンに冷えたビールの最初の一口

 

 

 

大きなフルーツパフェが 目の前に運ばれて来た とき

その生クリームを最初にほおばる とき (最近ないけど)

 

 

 

早朝の診察室で スタッフがまだ来てなくて独りで

コーヒーの香りに包まれて 

ダイナ・クラールのジャズボーカルを聴いている とき

 

 

 

疲れた体で車に乗り込み 

スピーカーからボサノバが流れてきた とき

 

 

 

出張先のホテルで 夜景を観ながら

好きな音楽をかけてネクタイをはずした とき

 

 

 

暖かい布団にもぐり込む とき

夜中に起きて もう朝か?と思ったらまだ眠れるとわかった とき

朝起きて 起きたくないなぁと思ったら 休日だとわかった とき

 

 

 

サッカー日本代表がゴールした とき

 

 

サンバパーカッションを叩いている とき

 

 

 

患者さんと話しているとき

患者さんが 悩みを打ち明けてくれる

患者さんと一緒に つらさを感じている

患者さんと 気持ちが軽くなる方法を考えている

患者さんが がんばって生きている

患者さんが 『元気になりました』と笑って下さる とき

 

最高の瞬間!

生きていて良かったと思える瞬間

僕は 患者さんに生きる意味を与えていただいてる

 

 

ありがとう     ありがとう     ありがとうございます

 

 

 

 

 

もう氷点下の予報                2013/11/10

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジレンマ

 

所々でクリスマスのイルミネーションが点灯するようになりました。

 

 

さて、開院してある時期からずっと葛藤していることがあります。

 

 それは、初診で受診される方に大変長く待っていただいていることです。現在、約1ヶ月から1ヶ月半程お待ち頂く状態がずっと続いています。大変申し訳なく思っています。

 

 その日のうちに初診の患者さんを診て差し上げる方法が全くない訳ではありません。例えば、最初に看護師が問診をしてその問診の内容をもとに面接を行い治療方針を立てて治療を開始する。そうすれば、時間的には効率良く回すことができます。また、初診の時間を極力短くする(現在は45分ですが、例えば15分とか)方法もあります。

 今まで、このような方法は何度も考えてみました。なぜなら、患者さんにとっても一番具合が悪い時にサッと診てもらえた方が安心ですし、医師にとっても早期発見早期治療の方が治しやすいからです。

 

 しかし、先程のような診療の在り方はどうしても引っかかるのです。

 

 僕は、診察・診断・治療は一貫して医師が行うべきであると思っています。

 患者さんは、いろいろな不安や戸惑いを抱えて受診されます。「先生はどんな人なんだろう?」「ちゃんとわかりやすく説明できるかな?」・・・etc

 そのような不安を抱いていらっしゃる患者さんのお話を最初に聴くのが医師でなかったら、患者さんはどう感じるだろう?もしかしたら、がっかりしたり気が抜けてしまったり、流れ作業的に感じたりされるのではないでしょうか?それは失礼なことではないか?(どこからか、1ヶ月も待たせるのはもっと失礼ではないか?という声が聴こえてきそうですが・・・<汗>)。

 もちろん、医師以外のスタッフが問診してからその後に医師が診断・治療するやり方でも、それが丁寧で受容・共感的であれば、患者さんも満足されるかもしれません。

 

 しかし、僕は、患者さんの初診は『人と人との出会い』だと考えています。医師と患者との出会い以前に、人と人との出会いだということ。それは、とても新鮮でドラマティックな時間だと思うので、治療という時間の流れの中でも最も大事にしなければならない。そう思います。

 

 だから、初診はとても大切な意味を持ちます。

 初診で、診断や治療方針のほぼ7割から8割が決まると言っても言い過ぎではないでしょう。また、医師と患者(=人と人)との信頼関係も、初診の印象によって大きく左右されます。

 

 そのように考えますと、どう考えても初診の時間を10分や15分で切り上げるわけにはいかないのです。患者さんの悩みを聴いてさしあげて更に患者さんの生活歴や既往歴等を理解するためには、最低でも30分は必要です。私が、医師を始めてから『初診は45分』と決めてこのスタイルを守り続けているのはこのような理由があるからです。

 

 しかし、そうしますと、今度はリアルタイムに診て差し上げることができない。なぜなら、再診の患者さんが50人前後/日いらっしゃっていてそちらの診察に支障が生じるからです(今、初診の患者さんは2人〜3人/日の診察枠。あとは、再診の患者さんの診察で、18時の最終診察時間を超え20時近くまで診察しているのが現状です)。だから、どうしてもお待ち頂くことになる・・・。

 

 本当に、究極のジレンマです・・・(涙)。

 

 今のところは、初診の御予約の際にこの点をご理解頂き、待てないくらい具合が悪い緊急性がある患者さんについては、その日のうちに診ていただける医療機関をご紹介させていただいています(基本的に、ドクターが何人かいる医療機関はその日のうちに対応してくれます)。

 そして、その後もどうしても当クリニックへの通院をご希望される場合は、当クリニックの初診日までは緊急でかかった医療機関で診ていただくようにお勧めしています。

 

 今後も、できるだけ早く診て差し上げることと診療の質を下げないことをどう両立させていくか・・・悩み続けていきたいと思います。

 

 

 

 

あと1ヶ月でもうクリスマス            2013/11/23

 

 

 

 

 

 

 

自販機のお姉さん

 

今日、仕事に行く前に自販機でコーヒーを買ったら、溌剌としたお姉さんの声で「午後もがんばってね!」と声をかけられました。

 

思わずどっと疲れた・・・。

『そんなにがんばりたくないよ・・・』反射的に声が出ました。

 

 何で、自販機っていつも「元気」を売り物にするんだろう?TVコマーシャルでもそうですよね。『元気はつらつ〜」とか、栄養ドリンクの宣伝なんかでよくやってます。何か、いつも元気じゃなきゃいけないみたいに。

 

 別に、いつも元気じゃなくてもいいじゃないですか。だって、毎日毎日元気でいられるはずがないもの。

 

 僕が自販機を作ったら、こんなメッセージは考えないだろうな。

『今日も無理しないでね』とか『あまりがんばりすぎないでね』とか、そんな感じにするだろうな。

 

 そんなことを考えながら「高級豆キリマンジャロブレンド」という缶コーヒーを取り出そうと腰をかがめた瞬間に、滑ってすってんころりん(汗)。宙を舞ってしまいました・・・恥ずかしかった。

これもまた人生。

 

 

 

がんばるだけが人生じゃない           2013/11/28

 

 

 

 

 

 

人間の遺産

 

今僕は、大げさな言い方かもしれませんが「人間の遺した遺産」に少しでも多く触れたいという欲求がものすごく強い。

 

文学、哲学、宗教、音楽、美術、建造物・・・etc

 

 ここにいると、東京に住んでいた時みたいに気軽に美術館や博物館、劇場に足を運ぶことはできないけど、その他のものには触れられます。

 

 以前にもお話ししましたが、『SHINE』という映画で「ラフマニノフピアノコンチェルト第3番」に出会ってから感動し、その日から毎日、時間があればこの曲を聴きながら、太宰治をむさぼり読み、その後、夏目漱石、新渡戸稲造、村上春樹、沢庵、空海、ケルト幻想作品、ランボー、キーツなどなど・・・ジャンルを問わず手当り次第に読み漁っています。

 音楽も、先のピアノコンチェルトに始まり、第1番、2番、4番、それも各演奏家のものを聴き比べ、そこから発展して、ワグナー、マーラー、ドボルザーク、ベートーベン、チャイコフスキー、ブラームス、リスト、バッハ、ドビッシー、フォーレ、サティ...etc ピアノ曲だけでなくシンフォニーにも幅が広がってきました。

 それこそ、何かに取り憑かれたかのように。

 

 どうしてこんなに急にいろいろなものを吸収したい欲求にかられるのか・・・。

 それは、内から出る焦りからだと思います。

 

 高校時代も、日本文学、世界文学、クラッシック等に没頭したことがありました。

 あの頃はまだまだ時間があると思っていた。それに人生経験も浅かった。だから、芸術作品や哲学、宗教と言ったものが本当に理解できたわけではありませんでした。むしろ、わからないことの方が多かったし、かっこつけのために背伸びして触れていることが多かった。また、まだ時間があるから後回しにしようと触れなかったものもたくさんあります。今から思えば、もったいないことをしたなと思います。

 

でも、今は違います。

 時間がない。もっと、様々なものを体験したい、吸収したいのに時間がない・・・そんな焦りがあるのです。

 しかも、今触れるものは皆、現実味を帯びて僕の内面に迫ってきます。ものすごく良く理解できます。

 それこそ、若い頃は難解でチンプンカンプンだったギリシャ哲学や禅の教え、ランボーの詩でさえも、ひしひしと心に滲み入ってきます。より深い意味を示唆してくれます。涙が出ます。

 

 

 ちなみに、「ラフマニノフピアノコンチェルト第3番」にこんなにまで惹かれるのはなぜなのか?

 それは、彼の他のピアノコンチェルトに比べて、生きる悲哀や悲しみ、苦しさといった負の部分まで表現しきっていると感じるからです。この一曲の中に人生が凝縮されています。ただ、ロマンティックなだけの曲ではないのです。

 

 人生は一回きりです。

 

 この短い人生の間に、偉大な先人が遺してくれた『生きた証』にすこしでも深く触れたい・・・。

 

 そして、可能ならば、許されるならば・・・、『僕が生きた証』も何らかの形で遺したい。

 

 今、そんな焦りにも似た感情が僕を突き動かしています。

 

 

 

 

世が華やぐクリスマスは嫌                   2013/12/1

 

 

 

 

 

 

 

 

今はまっている音楽

 

今、毎日1回は聴く曲があります。

 

サミュエル・バーバー作曲『Adagio For Strings(弦楽のためのアダージョ)』

 

 『プラトーン』『エレファントマン』等の映画にも使われていたので以前から知ってはいたのですが、今改めて聴いてみて、この世にこんな美しい曲があるんだ!と思うくらい惹かれています。

 そう言えば、あのJ・Fケネディ大統領の告別式でもこの曲が流されたそうですね。

 

 最初のストリングスから心に染み込んできて、自然に涙があふれてきます。

 

 僕の手元にはレオナルド・バーンスタイン指揮ロサンゼルスフィルハーモニーと、ネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールドの2枚のCDがありますが、前者の方を好んで聴いています。

 

 人類が遺した音楽の中でも、きっと永遠に聴き続けられる曲の一つなのではないでしょうか?

 

 

 生きていると、孤独や不安、恐れ、落ち込みなどの負の感情とうまくつきあわなければなりません。

 そうした時、もちろん人やペットとの関係性の中で癒されることも大切ですが、いつも一緒にいてくれるとは限りません。

 

 そんな時、音楽や文学、美術などの作品が、負の感情に覆われたこころをそっと包み込み慰めてくれることがあります。

 

バーバーの『Adajio For Strings』やラフマニノフ、太宰文学、マチスやルオー、モネ、セザンヌ、そしてボッサノーヴァ・・・

 これらは、今の僕には欠かせない癒し〜‘こころの湯たんぽ’です。

 

 この湯たんぽさえあれば、独りでも大丈夫。だって、自分次第でいつでもこころの中に用意でき、僕自身を内から暖めて続けてくれるのですから。

 

 

    窓の向こうでは、しんしんと雪が降っています

 

 

 

あと今年もわずか                 2013/12/26

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年もあと一時間

早いもので、2013年も残すところあと一時間となりました。

 

 ホント、時間が過ぎるのが早い。今年程早く過ぎたと感じた年は、今までになかったような気がします。

 今、シベリウスのバイオリンコンチェルト(デヴィッド・オイストラフviolin、ゲンナージ・ロジェストベンスキーconduct)を聴きながら村上春樹の『スプートニクの恋人』を読んでいますが、このまま2014年を迎えそうです。

 

 村上春樹は、今年大ブレークしましたね。先日ノーベル文学賞を取るのではないか?と話題になりました。この人の小説には様々なジャンルの音楽や演奏者が登場します。『1Q84』には、ヤナーチェクのシンフォニエッタが出てきますが、この小説を読むまでは、こんな作曲者も知らなかったし曲も聴いたことがありませんでした。

 

 でも、村上春樹の小説は、物語の中で重要な役割を担うのは若い女性が多いような気がします(まだ全てを読んだわけではないので違っていたらごめんなさい)。そして、その女性達は皆、何かしらの心の闇(あきらかに病の場合もある)を抱えている。精神科医を仕事にしている僕には、彼女達の生き様がよく理解できます。先日NHKで村上春樹の特集をやっていましたが、その中である読者が彼の作品の印象を「ファンタジック」と表現していました。

 

 僕は少し違った印象を持っています。ファンタジックどころか、とてもリアリスティックだと感じるのです。表情に乏しく抑揚のない話し方をする女性、空に浮かぶ二つの月、現実と非現実がパラレルに存在する不思議な世界etc...

 一見すると不思議=ファンタジックと感じるかもしれませんが、僕は、登場人物にとってはまさに現実であり、今の僕たちの日常でもそのような世界に入り込んでしまう可能性が充分にあると思う〜だから、村上春樹の世界はとてもリアルだと思うのです。

 

 例えば、あのムンクの『叫び』も、一見シュールな世界と感じますが、統合失調症であったムンクにとっては、「世界が今にも破壊されてしまうのではないか?」「変な声が聴こえて来た」「世の中が歪んで見える」etc...という感覚は毎日の現実で、その言いようのない不安・恐怖感を描いたのがあの『叫び』という作品なのです。あれは、ただの気味が悪い興味本位の作品ではないのです。

 

 そして、あの作品を観て世界中の人々が惹かれてやまないのは、僕たち一人々々のこころの中にもそのような闇の世界があるからなのではないでしょうか?

 

 ノーマルとアブノーマルは、表裏一体。

 

 

 

 ・・・さて、今聴いているシベリウスのバイオリンコンチェルトは、小さい頃から聴いていたアルバムです。オイストラフのバイオリンとロジェストベンスキー指揮レニングラードフィルハーモニーの演奏は雄大で透明感があり、様々なアーチストの演奏と比べても大好きなアルバムです。録音された時代は古いのですが、良い演奏は確実に後世に残っていくものなのですね。

 

 

 

 

 あとわずかで今年も終わり、新しい年がやってきます。

 

 今年もたくさんの方々にお世話になりました。

 

 本当に、ありがとうございました。

 

患者さんを含め、関係して下さった様々な方々が良い年を迎えられますように!

 

 

 

 

 

除夜の鐘とシベリウス               2013/12/31

 

 

 

 

 

 

  

明けましておめでとうございます

 

2014年、新しい年が始まりました。

 

 とはいっても、僕はお正月番組を観るでもなく、毎日クラッシックを聴きながら今月初旬にある講演のスライド作りをしています。

 今はまっているのは、ホルストの『惑星』。いつものように様々なアーチストのCDをマーケットプレイスで安く手に入れて聴き比べをしています。今のところは、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏が気に入ってます。金管楽器の技術もさることながら、このオーケストラは昔から音色が華やかなので、この作品にはぴったりです。芸大時代に、昭和女子大学人見記念講堂にこのオーケストラの演奏を聴きに行ったことがありましたが、その壮大な表現力に圧倒されて感動しました。

 

 しかし、お休みももう今日を含めてあと2日になりました。あっという間です。

 

 今年も、たくさんの方々にお世話になると思います。

 

 「いつも患者さんに身近で気さくな医師でありたい」という初心を忘れず、精進していきたいと思います。

 まだまだ未熟者ですが、暖かく見守っていて下さいね。

 

 

 本年も、よろしくお願い致します。

 

 

 

 

絶対溶けてやるものか・・・根雪の独り言        2014/1/3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大雪

 

 ものすごい雪でした。

 

 14日から15日にかけて降り続いた雪。14日の夜1回、15日の夜中と早朝4時から2回の計3回掻いたのですが、掻いても掻いても積もって行くので恐怖感を感じたくらいです。

 15日の朝、まだ雪は降り続いていましたが、診療日だったので雪掻きをした後出勤するつもりでいました。ところが、道路が完全に麻痺状態。県道、村道は雪掻きが間に合わず、車がやっと1台通れるくらいのスペースしかなく、所々で車が雪にはまって立ち往生している。雪の重みでガレージがつぶされて、下にいたお年寄りが一人亡くなられたとの情報。国道20号は通行止め。高速も通行止め。バスやJRもストップ。知り合いの村内の雪掻きをしている業者に尋ねたら、「車で出るのは自殺行為。もし出るなら、車内に閉じ込められてもいいように水と食料を充分持って出かけるように」と言われ、それならプロのタクシーなら?と手配しようとしたら、こんな状況だから勘弁して下さいと言われる始末。原村、茅野市の役所に道路状況を聞いたら、除雪が間に合わなくて所々で車が立ち往生しているので外出しないで下さいとのこと。

 

 もう、お手上げ状態。万事休す。

 

 悩みに悩んだ末、患者さんやスタッフの安全を考え休診を決定することにしました。ただ、僕やスタッフがクリニックに行けないので、電話対応やお知らせ等を出すことさえできません。クリニックの留守番電話にメッセージを入れようと試みましたが、そのようなことはできない電話であることが判明。とりあえずクリニックのホームページを見て下さる方もいらっしゃるかもしれないと思い、そちらには緊急のお知らせを書かせていただきました。

 

 いろいろと悩んでいたら、一本の電話。クリニックのお向かいの『おもだか皮膚科』の面高先生からでした。面高先生は、僕が皮膚科医だった頃の大先輩です。面倒見が良い先生で、開業前からいろいろと優しくアドバイスをして下さっています。「戸田君が出て来られない状況なら、患者さんが尋ねて来てもいいように僕が貼り紙をしておいてあげようと思って」とのこと。涙が出るくらいありがたかったです。

 その後も、ベルビア内にある『ヤジマ薬局』さんと話し合い、薬局を尋ねていらした患者さんとは、僕が電話で直接患者さんと話して対応するようにしました。

 

 15日に診察の予定だった患者さんには、大変申し訳ないと思っています。

 

 信州に暮らすようになって20数年たちますが、こんな豪雪は初めてです。生まれて初めて胸の辺りまで積もった雪を経験しました。

 こうなると、もう雪に対してロマンチックな感覚は出てこない。恐怖しか感じません。今回はさすがに、「雪がない所に行きたい」と心から思いました。

 

 今日現在も、国道20号線の富士見〜茅野はまだ通行止めになっているそうです。避難所も設置されたとか。本当に大変な状況です。

 

 それに加え悪いニュース。今週の水曜日・木曜日はまた雪マーク!!?????・・・(涙)・・・ウソでしょう!?・・・信じられない・・・(冷汗)。この状況で更に雪が降ったらどうなってしまうのだろう?

 

 それより何より、明日はクリニックに無事出勤できるのだろうか?いつも使っている国道は使えないから、通れる県道を探して行かなければなりません。通れる道はどこも渋滞してるだろうから、相当早く出ないといけないだろうな。

 何回もの雪掻きと睡眠不足のせいか、体のあちこちは痛いし全身倦怠感が激しく頭もボ〜っとしてる。喉もちょっと痛い。

 危ない危ない・・・。僕が風邪を引くわけにはいかない。これ以上クリニックを休診にはできない。今日はゆっくり休もう。

 

 本当に、雪が恨めしい・・・

 

 

(追伸)

 

 今回の件で、ご迷惑をおかけした患者様に改めてお詫び申し上げます。

 

 また、暖かく声をかけて下さった『おもだか皮膚科』の面高先生、更に、快く御協力して下さった『ヤジマ薬局』さん、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

雪なんか大っ嫌いだっ!!                   2014/2/16

 

 

 

 

 

女子スノーボード

 

ソチオリンピック女子スノーボードパラレル大回転で、竹内智香選手が見事銀メダルを取りましたね!

 

 僕は、恥ずかしながらこの選手のことは全く知りませんでした。でも、いろいろ聞くと、ワールドカップ等ではランキング2位くらいにつけていた優秀な選手だそうですね。でも、それまでの道のりは困難の連続だったようです。

 

 僕が感動したのは、この選手のこれまでの生き方です。早くから日本国内では良い成績を残していたようですが、世界のレベルには程遠いと考え、今から7年前の23歳の時に世界最強のスイスチームに直談判して強化練習に参加し一緒に練習したそうです。彼女を受け入れたスイスチームの懐の広さにも感心しますが、何より、物怖じせずに自分から飛び込んで行く彼女の姿勢はすごい!。だって、相手は世界でナンバーワンのチームですよ。最初から「どこの馬の骨ともわからないような奴が来た」なんて思われただろうに単身で飛び込んで行ったわけですから。しかも、外国の選手と一緒に練習するのでコミュニケーションは欠かせません。そのため、彼女はスイスで話されているドイツ語を10週間必死になって勉強してマスターしスイスチームに溶け込んだそうです。

 結局、このスイスチームとの練習後、彼女の実力は飛躍的に向上し、世界のトップアスリートになっていきます。

 

 今回決勝戦で滑った相手は、一緒に練習したスイスチームのメンバー。ドラマチックですね。一本目は彼女が勝ち、二本目も順調に行けば金メダルだったのですが、そこは相手も世界ランク1位の実力者。彼女から0.3秒遅れてスタートしながらも、後半で追いつきプレッシャーをかけます。そのプレッシャーに焦ったのか彼女は転倒してしまい、残念ながら金メダルには手が届きませんでした。

 ものすごく悔しかったでしょうね。でも、最後は抱き合ってお互いを讃え合っていた姿には感動しました。

 

 オリンピックを見ていると、人の気持ち・真摯な想いの素晴らしさに胸を打たれます。

 人より上に立つ人は、必ず人の何十倍・何百倍も努力しています。それこそ、見えない所で血の滲むような努力がなされています。失敗しても失敗しても、希望を捨てないで「こんちくしょう!!」と挑戦する姿。そこに、人間にしか見られない美しさと尊さがあります。

 

 天才と言われ相対性理論で有名なアインシュタインも言っていますよね(いきなり全然分野が違う話ですが)。

 

 『私は、頭が良いわけではない。ただ、人よりも長い時間、問題と 向き合うようにしているだけである』

 

 『私には特別な才能はない。ただ、私は情熱的に好奇心が旺盛なだ けだ』

 

 

 最後は、努力とあきらめない強い気持ち(情熱)・・・これが大事なのですね。

 

 

 

竹内選手には僕も励まされました。

もっともっと、精神科医としての腕を磨かなければ・・・

 

 

それと、スノボはかっこいい!!

僕も始めようかな・・・

 

 

 

 

 

真央ちゃん、こんなことでへこたれるな!       2014/2/20